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ワインと黒トリフで有名なアルバはヘーゼルナッツの産地でもある
小さな町。 その町の入口、たしかサヴォーナ広場にあるレストランで 美味しい地方料理を食べたことがある。なんの変哲もない店だが ちょっと草臥れたようなタキシードを着たオーナーらしい親爺と 若い女の子がサーヴィスしてくれた。親爺は年でもう居ないかも 知れないが、なんとなく心に残ってもう一度行ってみたい店の一つだ。 表も中も白いレストランだった。 アルバにはその後も何回か行ったがその店には行く機会がなかった。 このあたりの料理、結構美味しいが、特産のへーゼル ナッツを 多用するので飽きてしまうかも。
レストランの話しではない。 トリノの町、サン カルロ広場から
王宮の方に向かうローマ通りの左側、1本目か2本目の道に曲がったら グリッシーニ屋ガあった。 看板はトリノの方言で書いてある。 中に入るとトリノ名物の棒状の片パンが何十種類と並んでいて 量り売りをしている。 どれもこれも美味しそうだから買って帰りたく なるが割れやすい。 他のパンも売っている。 パン屋と筋向いの角にTOGOという小さなバールがある。 何故こんな名前をつけたんだと聞いたら「親爺が付けたんだから 知らない」と答えた。多分東郷元帥からとった名前だろう。 ローマの近くのアンツィオだかネットゥーノには海岸に バンザイというホテルが戦前からある。
トリノの昨日と同じコルソ ヴィットリオにあるレストラン。
建物の2階にあるのだが、その建物の観音開きの木の古くて重い ドアが閉まっていて、開けてもらうには呼び鈴を押さなければ ならないので20年程前、始めて行った時はどこにレストランが あるか分らなくて迷った。料理はマアマアだっかが、食事の最中 親爺が出てきてワインは何を飲むと聞く。その頃はピエモンテには 良いワインが沢山あること位でどんなのがお奨めかと聞いたら モデナの方にあるランブルスコみたいにかすかに発泡している酒を 奨めてくれた。ランブルスコより泡が少なくて素晴らしい味。 美味しいと褒めたら親爺、得意になって俺はイタリアに20人しか 居ないソムリエなんだとえばりながら金のバッジを見せてくれた。 その後も何回か行ったが、代が変わったのだろう。料理の味も 昔程ではなくなったような気がする。この店、名前が変わっていて C'era una volta (チェーラ ウーナ ヴォルタ)。日本で お伽噺をする時「昔、昔何々が居ました」と話し出すのと同じ 意味だ。(同じ名前のレストランが他の町にもあったが、どこ だったか思い出せない)。
トリノ、ポルタ ヌォーヴァ駅の駅前通りコルソ ヴィットリオ エマヌエーレに
たしかエグゼクティーヴという名前のレストランが出来た。 見ていると店の 名前どおり、背広をきちんと着こなしたいかにも高級サラリーマンといった 感じの連中が次から次と入って行って、昼食時にはすぐ満杯になるから好奇心に 駆られて食べに行った。 なるほどうまい。 最初にとったスパゲッティ アッレ ヴォンゴレはそれまで食べた中で最高の味だった。 連れは丁度旬だった ポルチーニの料理を前菜からパスタ、メインと注文したが、そのどれもが 素晴らしく美味しかった。 病み付きになって、トリノに行く度に寄っていたが、そのうち日本人のコックが 料理見習いとして調理場に居る様になり。 やがて店自体がなくなってしまった。 どこかに越したようでもなく、あんなに流行っていた店をどうしてやめたんだろうと 不思議でならない。
ピエモンテ州のゲンメという所にグーフォ ネーロ(黒い梟)という
レストランがある。 焼肉で有名な店で色々な種類の肉が並び、 最近はイタリアでも食べることがすくなくなった驢馬の肉なんてのもある。 ブラジルのシュラスカリアに似ているが、肉の焼き方は欧羅巴風に せんれんされている。、ゲンメはワインの産地でもあるので、オルタ湖へでも 行かれた時に寄ってみたら如何。
今朝は日本列島の太平洋岸一帯で日蝕が見られた。神奈川県の
我が家では曇り空の隙間から見えたようだ。 かって素晴らしく、感動的な皆既日蝕をみたことがある。 エジプトから始まって地中海を渡り、トルコを横断して黒海の方に 消えた。シデ、アンタルヤなどの見事な遺跡を見て近くの海岸に 着いたのはお昼頃。砂浜に立っている綺麗なホテルの食堂での 昼食が終わった頃から日蝕は始まった。広々とした海岸にいる人は ごく少数で皆思い思いの場所に坐っている。空は快晴。一点の雲もない。 見事な日蝕はドンドン進んで周りがうす暗くなった。思わぬ暗さに 鳥が慌てて飛び立つ。得体の知れない風も吹き始めた。 太陽は随分長い間隠れていたようだ。日蝕が終わって周りが元の 明るさに戻った時、天体の素晴らしいショウに感激してトルコ人も 外国人も男女の別なく涙を流していた。
昨日と同じヴァラッロの町。 何回目かのサクロ モンテの帰り道
丁度昼過ぎになったてお腹が空いてきたが、山道なのでレストランなんて 一軒もない。 やっとのことでバール兼用の店をみつけ、スパゲッティを 頼んだが、待たされること小1時間。 やっと出てきたのを口に入れて驚いた。 ネチャネチャに柔らかくて食べられたものではない。 味もすさまじいから 殆ど残そうとしたら、オヤジが出て来て、どうだ旨いだろうと言いながら、 表のテラスに引っ張って行って、下の方にある建物を指差し、「なにしろ 俺の甥はあそこの料理学校の先生をしているんだからな」と自慢した。 イタリア料理は色々と食べ歩いたが、イタリアでも外国でもこんな 空前絶後のまづいものを食べたのは初めてだった。この町の料理学校を 卒業したコックの料理も食べたくない。
ピエモンテ州のヴァラッロ。 モンテ ローザの山麓地帯だが
町からは見えない。 音楽教育で知られた所だが、1600年頃 キリストの事跡を50ばかり壁画と等身大の人形で再現した サクロモンテ(聖山)なる山があり、当時北イタリア一帯で 有名だったガウデンツイオ フェッラーリの作品もある。 その聖なる山の麓あたりではなかったかと思う。 変なレストランに 夕食を取りに行った。 門を入ると鬱蒼たる木立ちで,奥の方に 大きな屋敷が見える。 人の姿もなければ、声も聞こえない。 間違った所にきてしまったのかなと思ったが、勇をこして呼び鈴を 押すと暫くして若い男がドアを開けてくれた。 背広姿だし、 黙って案内してくれたのは大きな屋敷の食堂だか広間のような部屋で テーブルはちゃんとセットされている。 やがて食事がサービス されたが、持ってくるのはドアを開けてくれた男だけ。 他に誰も いない。 調理場も一人だけらしい。 料理は一寸変わった郷土料理で 美味しかったがなんとなく不気味。 相客なんて一人もいない。 食事ガ終わって暗闇の中をけつまづかないようにして帰ってきたが、 誠に奇妙なレストランだった。 バラッロは始めての時は道が悪くて随分時間が掛ったが 今は新しく道が出来て簡単に行かれる。
ピエモンテ州。風向明媚なマッジョーレ湖の畔にある保養地
ストレーザにはイタリア国立のホテル、レストラン学校があって 日本人のコックの卵も留学していた。4階建ての校舎の一番上が サービスの実習場になっていて、調理部の生徒や先生が造った料理を サービスしてくれるガ、彼等は途中で料理ニあわせて上着を白、赤、 黄色、緑にかえる。皆まだ高校生位だから可愛いが、サービス科の 先生はビシビシと注意する。美味しい料理を食べながらそんな サービスの実習を見ているのが楽しくて年に少なくとも一回は 行ったものだ。
Il Cigno もマントヴァでは有名なレストランだ。白鳥なんて
名前も可愛らしいが、店の造りがなんとなく日本的な雰囲気なので よく行ったものだ。お料理も黒鷲よりおいしいかもしれない。
ロンバルディア州のヴェネトとの州境居に近い
マントヴァのレストラン「黒鷲」。 始めて行った時 東京から南瓜のラザーニァだかを頼んでおいたら 店の親爺が出てきて「なんでこんなものを知っていたんだ? たしかに店の名物の一つでルネッサンス時代からの料理だが、 今じゃ食べる人なんていないよ」と云われた。 食べたら甘ったるくてデザートみたい。 これでは今、 はやらないのは無理もないと思った。 当時は南瓜の 甘さが珍しかったのかもしれない。 総じてルネッサンス人は 甘いものが好きだったようだ。 この店ミシュランでも星が付いたほどの古くて美味しい レストランだ。
レストランの名前も覚えてなければ場所も正確には覚えていない。
随分無責任な話しだが、ミラノのレストランというよりトラットリアといった 感じの店。地下鉄をリマで降りてアブルッツイ通りの方にブラブラ歩いて いた時に見つけて入った店。あとで地図を見るよパガニーニ、ピッチーニ、 マッテウッチ通りのどれからしい。いずれにしろアブルッツィ通りに出る手前の 左側にあるトスカーナ料理の店だった。丁度時期だったのでポルチーニの 焼いたのを頼んだらこれが旨い。つけて焼くタレの味が僕には最高だった。 味をしめて翌年の秋も行って堪能したのに店の名前も場所も忘れたのは 年老いて耄碌したせいだろう、
近代喜劇の元といわれるコンメディア デッラアルテ発祥の地といわれる
ベルガモはミラノの東約50キロにあって、丘の上の旧市街と小品が多いながら 名画揃いの美術館のある旧市街に分かれているが、旧市街には中世期に建てられた 宗教建築の傑作が並んでいる。 狭い区域にレストランも多く、それぞれが独自の雰囲気を出している。 御菓子屋も軒を並べていて、ベルガモ名物のポレンタを売っている。 北イタリアの料理ポレンタと瓜ふたつだが、お菓子だから甘い。甘すぎる位だが ベルガモでしか見たことがないから、買ってみてはいかが。
近代喜劇の元といわれるコンメディア デッラアルテ発祥の地といわれる
ベルガモはミラノの東約50キロにあって、丘の上の旧市街と小品が多いながら 名画揃いの美術館のある旧市街に分かれているが、旧市街には中世期に建てられた 宗教建築の傑作が並んでいる。 狭い区域にレストランも多く、それぞれが独自の雰囲気を出している。 御菓子屋も軒を並べていて、ベルガモ名物のポレンタを売っている。 北イタリアの料理ポレンタと瓜ふたつだが、お菓子だから甘い。甘すぎる位だが ベルガモでしか見たことがないから、買ってみてはいかが。
ローマのアンドレアというレストランではカタルーニァ風サラダというのを
出していて、前菜、スープ、メインが一緒になったような料理だが結構旨い。 店のオヤジに聞いたらサルデーニァ島がスペインのカターニァ王国に統治 されていた頃の物だそうだから元はスペイン料理なのだが、サルデーニァに 残っているのは名前は同じでも全然違う。 これは自分達で独自に考え出した 料理で他では食べられないと自慢していたが、全く同じものがミラノでも食べられた。 店の名前はたしかシェーナのカンポに立っている塔と同じTorre di Mangia だったから本来はトスカーナ料理のレストランかもしれない。 恐らくローマの アンドレアで働いていたコックがミラノの店に移って作っているのだろう。
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