イタリアのパルチザンに殺された日本人
 東京イタリア友の会のI氏が第二次世界大戦末期の在伊日本人の動向を
記録として書いた貴重な文書を持ってきてくれた。今日はその中からイタリア、
アペニン山脈の山中でパルチザンに殺された光延(みつのぶ)東洋駐イタリア
日本大使館付海軍武官のことを書く。
 イタリアの敗色濃い1944年6月8日、当時連合軍が進出してきた為ローマに
いられなくなって北イタリアのメラーノに移動していた光延武官は山仲補佐官を
伴って自動車で、フィレンツェに移っていたドイツの海軍司令部に行った帰り、
アペニン山脈中のアベトーネ付近でパルチザンに狙撃され、殆ど即死の状態
だったようだ。一説によれば光延武官はアメリカが原始爆弾を作り、それを
同じ交戦国のドイツにではなく、日本に落とす予定との機密情報をドイツ軍から
もらって入れておいた鞄を渡すまいとした為に銃撃されたのだともいう。
なお山仲補佐官は九死に一生を得ている。
 同じころ、民間の日本人2名もパルチザンに殺されているが、そのことは
他の日本人の逃避行の中で書きたいと思う。
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by pincopallino2 | 2009-01-27 12:18
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