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イタリアの大晦日
 大晦日のローマ。12時になるととたんに町が騒がしくなる。どの家も1年の間に壊れた
瀬戸物類を窓から放り出すからだ。一応法律で禁止されているのだが、いう事なんか
聞かばこそ。瞬く間に道路は瀬戸物のかけらで一杯になる。こんな時うっかりおもてを
歩いていると、怪我をするし、車も傷つけられたり、タイヤがパンクする恐れがあるから
通らない。
 かって12月31日真夜中発の東京行きの便を見送って、空港から家に帰る時は
苦労した。上からの瀬戸物にあたらないよう、落ちているかけらを踏まいないようにと
広い道を選んで車を走らせるから、いつもの3倍以上の時間が掛かったことがある。
 そんなひどい状態の道路も翌朝6時頃には元通りになっているから、清掃人夫は
一晩中働くのだろう。
 ナポリの大晦日はもっと凄い。瀬戸物を放り出すと同時に爆竹をあげるから、まさに
戦争が起きたようだ。ある人が見ていたら、騒音と振動で、停めてあった自動車の
盗難予防の警報が鳴り出したそうだ。爆竹の煙は10分ほどで、まるで煙幕みたいに
ナポリの町全体を覆ってしまう。でもその煙がナポリ湾の方にゆっくりtなびいていくのは
見ていると情緒がある。
 爆竹は大晦日の夜、方々の街角に屋台が出て売っている。ナポリの連中はド外れな
悪戯が好きだから、買った花火にその場で火をつけて屋台に放り込んだ。屋台は
大爆音と共にスッ飛んで、後にはカンカンになった花火やのオヤジだけが残った。
 僕の車も幌の屋根だったから、走っている最中、上からめがけて投げつけてくる
花火で焼かれそうになった。
 そんな大騒ぎのナポリ、夜の8時前から公園のベンチに坐っていた若い男女、
音と煙と光の饗宴の中でシッカリ抱き合っていた姿が今でも目に残る。
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by pincopallino2 | 2007-12-31 12:03
イタリア人  続き
 最近は以前ほどではなくなったようだが、それでもイタリアの家庭の絆は強力で、
休日は家族と過ごすのがお父さんの無上の楽しみ(本心はどうか知らない)。
日本みたいに付き合いだなんてゴルフに行こうでもしたら家中から村八分にされてしまう。
日曜の午後など公園や海岸などで子供の手を引いたりして歩いているお父さんの
幸福そうに輝いている顔を見ていると、こちらまで楽しい気分になってしまったものだ。
 子供も子供で、なかなか親離れしない。殊に男の子が母親にベッタリなのが多い。
僕の知人で、60近くなっても一言目にはママと言っているのがいるし、この前もトリノで 
買い物をしていたら、店のおばさんが、うちの亭主ったらいまだに乳離れしていないんだからと
こぼしていた。
 あまりに家族の絆が強いので、結婚しないでそのまま一生を過ごしているのも結構多い。

 以上、イタリア人の気質という題で約20回ほど僕の見たイタリア人のことを書いてきたが、
要するに日本人もイタリア人も本質的には同じ。良い奴も居るし、嫌な奴もいる。
ただ彼らの方がなんでも口に出す。物言えば唇寒しという考えはあまり持ち合わせていない
ようだ。
 なお、イタリア人については今後も思い出すままに書くつもり。
 明日はイタリアの大晦日について話させてもらおうと考えている。
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by pincopallino2 | 2007-12-30 10:50
イタリア人  続き
 かってグループに添乗してイタリアに行った時、フィレンツェのホテルで、一緒に旅行して
いる婦人が悲嘆にくれている。聞けば街に買い物に出たのだが、帰りのタクシーの中に
かなりの額の現金とクレジット カード類の入ったハンドバッグを忘れてきてしまったのだ
そうだ。聞きしにまさるイタリアのことだからもう戻らないものとあきらめるにしても。一応は
警察に届けた方が良いし、カード類も使えなくしなければと仲間の人達が色々と言って
いる時、一人の男がロビーに入ってきて、その婦人を見ると「アーあなただ」と言いながら
ハンドバッグを渡した。タクシーの運転手で、その後に乗った男の客が客席にあるのを
見つけたので、わけを話してその客に降りてもらい、届けにきたとのこと。それだけ話すと、
婦人が差し出すチップも受け取らずに行ってしまった。以来その婦人と同行者達は
噂と違ってイタリア人は正直だと、それまでの認識を改めた。
 僕も慌て者だから買い物をしてよくつり銭を貰わずに立ち去ったりしたが、必ず
呼び止められた。駅で切符を買った時は駅員ばかりでなく、周りの人達も大声でよんで
くれたりした。
 イタリア人は泥棒だとよく言われるが、僕の知る限り泥棒はジプシー(今はロマと言う
そうだ)とか外国からの密入国者や出稼ぎ人で、イタリア人では老人の掏り一人だけだ。
 盛り場に犯罪は付き物で、イタリアは国全体が観光地だから、悪い奴らも外国から 
集まってくるが、日本人には人種の区別が付けにくい。
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by pincopallino2 | 2007-12-29 11:28
イタリア人  昨日の続き
 僕がローマに住んでいた頃はよく街角に男が立って、通りがかりの女性に
遊ばないか、遊ばないかと声を掛けていた。ある時など日本航空の店に援けを
求めに来た日本女性の後ろにそんな男が5,6人繋がっていたこともある。
大体が浮浪者に近い格好をした連中だから、引っかかる女性もいなかったと
思うが、この光景、イタリアの経済が向上するにつれて無くなってしまった。
 かって東京のイタリア大使館に勤めていた頃、プレス関係にボローニァ大学の
哲学科を出たお爺さんがいた。ハンガリア人の奥さんとは別居して一人暮らしの
皮肉屋といった感じの人だったが、話しをしている最中に綺麗な女の人が通ると
ジッと見つめたまま話しは中断。そんな彼を見ていて僕は男というものは幾つに
なっても女性に関心を持っていなくてはいけないのだと悟った。
 イタリアの男は喧嘩をしていても、綺麗な女性が通ると一時休戦。二人でその女性が
行ってしまうまで見送って良い女だったなと感嘆し、それから喧嘩を再開する。
 日本の男も同じだと思うが、表現力が少ないし、社会的にもそのようにも育って
いないからなんとなくいじけてしまう。其の点、思っていることを率直に発言できる
イタリア人が羨ましい。

  イタリア人については明日も引き続き書かせてもらう
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by pincopallino2 | 2007-12-28 14:54
イタリア人
 半分は冗談にしろ、イタリア人と言うと怠け者で、食べることと遊ぶことにしか
興味がなく、男は皆女好きのように表現されるが、事実とは大分違うし、事実でもある。
今まで18回にわたって書いてきたイタリア人気質は実際に僕が見たり体験したことだが、
我々の2大本能は食べることとセックスで、これが無ければ人類の発展なんて有り得ない。
昔は性のことでも、もっとおおらかだった。窮屈になったのは西洋ではキリスト教、
日本では儒教が入ってからだろう。もっとも今の日本では一部にしろ乱れに乱れている
ようだが。
 たしかに、イタリア人は飲食に情熱を燃やすし、地形上新鮮な食材も手に入り易いから
美味しい料理が出来る。それに彼等は大食いでお酒も良く飲む。といっても、欧米人はよく
食べるから我々の方が小食なのかもしれない。お酒に強いのは何とかいう酵素が日本人より
多いからだそうだ。
 彼等の食事が楽しいのは他の国の人より陽気で話し好きのせいだと思う。学生時代に
カリブ海の英国領の総督だかの息子と知り合ったが、当時彼はお婆さんと二人暮らし。
細長いテーブルの端と端に坐って食事中は一言も口をきかないのだと言っていた。
 昔イタリアの経団連が日本に来た時、ローマからコペンハーゲン迄送って行った。
飛行機の都合で一泊する高級ホテルのレストラン。夕食時なので土地の人が一杯いたのに、
話し声一つしなかったが、イタリア人が入っていったら途端に賑やかを通り越した騒ぎに
なって、食べていた人達がソソクサと逃げ出した。

   この項、長くなるので、続きは明日
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by pincopallino2 | 2007-12-27 13:28
イタリア人気質  18  出稼ぎ
 かってイタリアは移民大国でムッソリーニも奨励した位だった。貧困者が多かったせい
だろうが、移民にまつわる話しはエドモンド デ アミーチスのクオレの中にも書かれている。
第二次世界大戦前の移民先は主として北米、南米だったが、その挙句アメリカから
白人としては唯一移民を禁止されたこともある。マッフィアだのギャングだのと犯罪史上
輝かしい歴史を作った者が多かったからやむをえないのかもしれないが、歴代のニュヨーク
市長の中にはイタリア系が二人も居て、いずれも名市長として名をはせたし、そのうちの一人
ラガーディアは空港の名前にもなっている。
イタリア人の移民先は戦後オーストラリアに移っていたようで、アリタリアも日本へより早く
シドニーに路線を延ばしていた。
 ドイツがまだ東西に分裂していた頃、経済の発展が著しかった西ドイツでは労働力を
イタリアに求めた。怠け者であまり働かないが、近い所だからすぐに来てくれるだろうし、
それに遊び好きのイタリア人のことだから、払った賃金もドイツ国内で使ってしまうだろうと
いうのがドイツ側の思惑だったそうだが、案に相違して彼等はよく働く。しかも貰った賃金は
遊びに使わないで、セッセとイタリアの家族に送っている。そのうちに、今度はイタリアの
経済が好転して国内の労働力が足りなくなった。、イタリア政府がドイツの新聞にイタリア語で「祖国は君達を待っている」と広告を出したら皆イタリアに帰ってしまったとのこと。 
ちなみにイタリア人に帰られてしまったドイツはその後の労働力をはじめ韓国に、ついで
トルコに求めた。
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by pincopallino2 | 2007-12-26 11:38
パネットーネ
 イタリアではクリスマスにパネットーネを食べる。
 クリスマス前になるとお菓子やさんの店先にパネットーネの箱が山積みになり、
贈答も盛んに行われる。円筒形をした一種の菓子パンだが、何でクリスマスに
食べるかは知らない。
15世紀頃、ミラノで作られたということで背の高いのと低いのとあるが、
高いのは今から80年か90年前に作られ始めたとのこと。ムスタルダ
(果物の芥子漬けで、北イタリア、クレモーナの特産)みたいのが細かく刻んで
入っている。ちょっとシパシパした感じだが、アイスクリームをつけて食べると美味しい。
飲み物としてはココアが合うかも。
 古くなったものは細く切って揚げて又菓子やで売っているから無駄がない。
 なお北イタリアのアルト アディジェ地方ではもとオーストリア領だったせいか、
クリスマスのお菓子としてはパネットーネよりドイツ風のシュトーレンのほうが
人気があるようだ。
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by pincopallino2 | 2007-12-25 11:48
ヴァティカンのクリスマス
 始めてローマでクリスマスを迎えた時、ヴァティカンはさぞ賑やかだろうと
思っていたが、静かそのもの。サン ピエトロに飾ってある大きなプレセピオも
昔は無かったように思う。ただし12月24日から25日にかけての深夜ミサは
さしものサン ピエトロ大聖堂が一杯の人だった。ヴァティカンでのクリスマスの
飾りといえば、サン ピエトロの丸屋根の上に電気を灯すだけ。住んで居た
家から見えたが、紐のところどころに普通の白色光の電球を結びつけて
天辺から四方八方に垂らすだけらしい。電灯の無かった昔は綿に油をひたして
それに火をつけたのだと聞いたことがある。

 なお小生のもう一つのブログ「イタリア友の会」も見て欲しい。
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by pincopallino2 | 2007-12-23 12:04
ローマに居た日本人留学生  間島君
 僕がローマにいた頃の日本人留学生は10名足らずだった。
殆どが美術関係の人だったが、どういうわけか大使館に反抗的な者が多かった。
その中の一人、間島君。東京芸術大学で漆工を勉強したのだそうだが、
イタリアではファッション関係の模様のデザインで頭角を現し始めていた。
当時は華やかだったヴィア ヴェネト辺りを彼と歩いているとすこぶる美女の
モデル達が「ユキ、ユキ」と彼の名前を呼びながら集まってきて、こちらも
随分楽しい思いをさせてもらったものだ。
テヴェレ川に沿った家に住んでいて、ある日近くのフユミチーノの海に行って
釣りをしたら思わぬ豊漁だったので干物にし、テラスに干して、近所の
家々から臭いとごうごうたる非難を浴びたりしていたが、そのうちフィレンツェに住む
貴族の未亡人がパトロンに付き、居を花の都に移してピッティ宮殿で仕事の
お披露目パーティをやったり、日本の大手デパートと契約を結び、私生活では
結婚するなど順風満帆だったが、好事魔多しで、新妻が日本に里帰りしている間に
風呂桶の中で死んでしまっていた。
バスタブの中の水を温める為電気の棒を差し込んでおいて、それに感電したとの
ことだったが、それにしても惜しい逸材をなくしたものだと、今でも思っている。
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by pincopallino2 | 2007-12-21 12:04
イタリア駐在の日本人
 昨日、イタリア駐在の日本商社のことを書いたら、早速ローマ駐在の方から
お便りを戴き、ローマ駐在員なんて日本航空かニ三の旅行会社の人位かと
思っていたので驚いた。
 もっとも、かって衣類関係の人が居た事がある。この女性、会社を辞めてからも
ローマに居残り、今は南イタリアの日本人観光客もろくに行かない町で北海道出身の
女性と日本料理店を開き、大盛況をおさめている。
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by pincopallino2 | 2007-12-20 14:32