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戦争中の兵隊さん
 第二次世界大戦中家内が実際に見た光景。
イタリアの新兵: ローマの近郊ソリアーノである夏を過ごした時のこと。
      イタリア陸軍の新兵が路上で訓練を受けている。右向け右と言われても
      左を向く奴がいるし、行進だって右脚から出る者と左脚から出る者がいるから
      足並みなんか全く揃わない。そのくせ若い女性でも通ろうものなら、上官の
      いうことなど聞かばこそ。これだけは命令なしでも皆同じ方向を向く。第一
      上官自体もそっちの方を向いているから世話はない。
ドイツ軍の将校: イタリアが負けてオーストリアに逃げ、ウィーン最高のホテル
      インペリアルに一年ほど滞在していた時のこと。
      敗戦間際だというのに、ナチの将校達は制服のまま美女を引き連れて
      ホテルのバーに群がっていたが、格好が良くて映画を見ているようだった
      そうだ。
フランス軍の将校: そのドイツも降伏したので、中立国だったスイスに逃げ込もうと
      したが、オーストリア・スイスの国境近くでフランス軍に捕まり、チロルの 
      シュルンス(ヘミングウェイが新婚旅行先に選んだ場所とのこと)近くの
      村に一年近く軟禁されていたが、一戸建ての家に住み、毎日午後
      フランス軍の将校が尋ねて来て、お茶を飲みながら1時間ほど四方山話しを
      するだけで、後は全く自由だったそうだ。
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by pincopallino2 | 2008-01-31 12:28 | Comments(0)
レストラン 日の丸  モンペリエ
 昨日は南米の日の丸食堂のことを書いたが、今日は25年程前南フランスの
モンペリエにあった日の丸レストラン。当時のモンペリエはユニークな都市開発で
有名だったので日本から視察団も行っていたようだし、大学にも日本人留学生が
居ると思ったのに、何回行っても日本人には会わなかった。そんな町で日本レストランが
あるよと聞いたので早速行って見た。まさに日本の簡易食堂といった感じ。
日本の女性が一人でやっていたけれど、客が入っているのを見たことはなかった。
日本に柔道の修行に来たフランス人と結婚してモンペリエに来たのだが、
柔道教師をやっている亭主の収入だけでは生活できないので、レストランを
やっているのだとのこと。この人にはその後20人ばかりのグループを連れて
バルセロナに抜けた時、おにぎりの汽車便を作ってもらったが、暫くしたら
居なくなった。店をたたんで、亭主と一緒にパリへ行ってしまったとのことだった。
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by pincopallino2 | 2008-01-30 11:13 | Comments(2)
レストラン 日の丸
 「アンタ達 ついているね。今日生きの良い鮪が入ったんだ」。
南半球の真夏。たしかアルゼンチンのイグアスからブラジルのイグアスに行く時だったと
思う。荒涼たる丘の上に焼けトタンを打ち付けたような小屋が立っている。海の家みたいな
造りだから風が吹き抜けて涼しいが、土埃も一緒に舞い込んでくる。日の丸と日本語で
書いた旗につられて入ったのだが、威勢の良い日本の青年が一人居て、僕のJR(当時は
国鉄)の定期券を見て懐かしがっていた。聞けば一旗揚げようとして最近日本から移住して
きたとのこと。
でも折角薦めてくれた鮪の刺身は誰も食べなかった。いくら生きが良いといっても大西洋
から600キロも離れている所に、この炎天下どうやって運んできたか分らないし,見渡した
ところ冷蔵庫もない。第一蝿がブンブン飛んでいて、埃も舞っている。旅先でもあるので
皆遠慮した。
暫くしてからサン パオロに行ったと風の便りに聞いたこの青年、今はいいオヤジに
なっているだろうが、その後の消息が気に掛かっている。
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by pincopallino2 | 2008-01-29 11:48 | Comments(0)
コメディ風サラダ
 南フランス、モンペリエの町の中心コメディ広場にたしか広場と同名のホテルがあった。
一人で昼食に入り、サラダにニソワーズを頼むとそんなものはないとのこと。
但しもっと美味しい、うち独特のコメディ風サラダならあるというので注文したら
ニース風サラダをベースにしたもののようだが、鮭の燻製も硬軟2種類はいっていて
すこぶる美味しかった。もう一度食べてみたい味の一つだ。
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by pincopallino2 | 2008-01-28 13:52 | Comments(0)
ストレーザのイタリア国立ホテル学校
 前回書いたENALCのような国立ホテル学校は今やイタリア各地にあるが、
僕がよく行ったのは北イタリア、マッジョーレ湖畔の風光明媚な保養地
ストレーザにある学校。もとは私立であったのが段々に格上げされて今は
国立になっているが創始者の名前はそのまま残してエ マッジャ ホテル・
レストラン学校と言う。調理、サービス、経営の3部門にわかれ、
たしか4階建ての最上階がサービス科の実習場になっている。
一般に公開していないから普通の人は食事できないが、
食べている方は生徒の実習台ということで、先生がつき、
悪いところをビシビシと直していく。食事にあわせて白、ベージュ、緑、水色、赤と
上着を変えるのは華やかで見ていても楽しい。
 この学校を卒業した日本人は多分立花君といって、たしかホテル オークラに
就職したが、その後日本でのイタリア料理の先駆者の一人である
堀川春子さんが学校と深い関係を築き上げ、次々と日本人の留学生を
送りこんだ。
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by pincopallino2 | 2008-01-25 16:19 | Comments(0)
ENALC
 ローマ近くの海岸に小さいながら瀟洒なホテルがあった。
名前はエナルク。国立のホテル学校兼実習場で、
エナルクはその略号。芸能人がクリスマス パーティ等に
よく使っていた。
夏、海水浴の帰りなどに立寄って食事をしたものだが
その後学校は国立から格下げされ、よそに移ってしまった。
 数年後ローマを再訪した時、廃屋になった建物を見て
華やかだった頃を思い出し懐旧の念に駆られたが、
夕べ行ったレストランの日本人オーナーシェフが1965年頃の
そこの卒業生で、又復活するとの話を聞いた。但し同じ場所か
どうかはわからない。
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by pincopallino2 | 2008-01-22 11:34 | Comments(0)
アレックス
 アレックスという名前の雄犬を飼っている。
バーニィズ マウンテン ドッグとかいう種類で、大きいのは70キロ位になるそうだが、
アレックスは40キロしかない。
 もともとローマ軍がスイスに進駐した時に連れていった軍用犬がそのままスイスに
居ついたということで、バーニィズというのは「ベルンの」という言葉の英語訛りらしい。
 軍用犬といっても荷物を積んだ車やそりを引っ張って山道を歩く輜重犬だったから、
駆ける姿などとてもスマートとはいえない。
 でも冬のドロミティで、同じ仲間が50センチ位積もった雪を掻き分けてやってきたのは
迫力があった。
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by pincopallino2 | 2008-01-21 11:28 | Comments(0)
ヨレヨレ ジジババのイタリア再遊旅行 7日目 1月9日
 ローマ出発が1時間程遅れた飛行機は成田空港に定時到着。
冬なので偏西風にうまく乗ったのだろう。途中も殆ど追い風だった。
 良い加減ヨレヨレのジジババのイタリア旅行。短かいので友人達にも知らせず、
二人だけの旅を楽しんだが、結構面白かった。
 仕事でも時々訪れる機会とあわせて考えると、ローマでは昔はよだれをたらしながら
食べたような美味しい料理が段々少なくなり、地方で素晴らしい味にぶつかることが多い。
今回のオストゥーニでは入ったレストランのいずれもが見事な味で、手を抜かないで
作った感じが歴然としていたし、サーヴィスも良かった。
フリウリ ヴェネツィア ジュリア州の名も知られていないような片田舎にある
スビーダというオステリーアというかロカンダといった感じの店は風情もいいし、
サービスも満点で、又是非行きたいと思っている。ローマにもそんなレストランは
幾つかあったが、今は殆どない。ローマっ子が古き良きローマと懐かしむ
約半世紀前の時代はもう過ぎ去ってしまったようだ。
 それにしても帰りに乗ったアリタリアの機内サーヴィスのひどいこと。
エコノミークラスだからしようがないかもしれないが、食事の時日本食にするか
洋食にするかと聞くから日本食は何だと聞いたら答えられなかった。
第一メニューもくれなかった。自立できないでエール フランスかどこかの
航空会社に買収されそうなのも無理はない。
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by pincopallino2 | 2008-01-18 15:05 | Comments(4)
ヨレヨレ ジジババのイタリア再遊旅行 6日目 1月8日
 ブリンディシの空港からローマ経由で帰国の途へ。朝、ホテルを出発しようとしたら
濃い霧で一寸先も見えない。でも丘を降りたら視界が良くなった。
ブリンディシの空港のまわりのミモザはまだ1月の初めだというのにもう蕾が膨らんで
黄色くなっている。
ローマも朝方天気が悪かったとのことで、迎えの飛行機が遅れている。
もともと乗り継ぎ時間が1時間半くらいしかなく、しかも最近のフユミチーノ空港は
バカバカしく大きくなって、国内線の降機口から国際線の搭乗口まで下手をすると
1キロ近く歩かなければならないから、ノソノソ歩いていると東京行きの便に
乗れなくなる恐れがある。
年寄り扱いをされるのはいやだけれど、乗り遅れるよりはましだと、ローマでの車椅子
サーヴィスを頼む。一見老夫婦に見えるようだし(実際にもそうだが)、僕が杖もついているので
簡単にOK。ローマでもチャンと待機してくれていたが、今度は東京行きの便が
1時間遅れ。お陰で喫煙室で煙草の吸いだめができた。ちなみに僕の喫煙歴は60年以上。
今でも一日40本から50本吸う。
ローマの空港についたらとたんに歯切れの良いローマ弁が聞こえてきたが、
サーヴィスは心のこもった親切なプーリアに比べてそっけなくなった。
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by pincopallino2 | 2008-01-17 11:44 | Comments(2)
ヨレヨレ ジジババのイタリア再遊旅行 5日目 1月7日
 朝からレッチェに出かける。オストゥーニから列車で約1時間。
バロック様式のサンタ クローチェ寺院はいつ見ても見事。
でも僕は紫色にたそがれていく南の空に自然光に照明された教会が浮かび上がるのを見て
以来、ドゥーモの広場が大好き。今日は快晴で、夕方までこのままの天気だったらさぞ
素晴らしい夕暮れを楽しめるだろうが、よれったジジババでしかもオストゥーニ迄帰らなければ
ならないので今回は割愛(マダ来る気)。ドゥオーモの広場ともともとブリンディシの港に
ローマからのアッピア街道此処に終わるといった感じで2本立っていたローマ時代の柱の
うちの1本を持ってきたオロンツォ広場との間のパン屋で珍しいものをみつけた。
たしかフォカッチョとかいった名前がついていたようだったが、説明を読むとレッチェだけのもの
だそうで、黄色い色をしている。中には玉葱とか色々な野菜が入って唐辛子ものっている。
よっぽど買ってみようと思ったが、腹も空いていなかったのでやめてしまった。
何故買って帰りの列車の中ででも味見をしなかったのかと悔やまれるが、そこはもう耄碌して
いる年寄りのこと。気がまわらなかった。今になって残念がっている。
この町では面白い人形が特産で、折った紙を火にくべて焦げ目をつけ、それを模様にして
作るのだが、始めて行った時は沢山あったのに、今は見かけなくなってしまった。
カルタ ペスタと名前は同じだが、今あるのはぬらした紙で人形を作り、それに色を塗った
ものだけのようだ。
いずれにしても、レッチェあたりから南にかけてのサレント半島はイタリア最東端の町
オトラント(小さな猟師町だが、古い歴史を持ち、悲しい思い出も秘めている所。此処の
ドゥオーモの床は一面のモザイクで有名)やギリシア時代からの古い町ガッリーポリ等が
あり、タランタという独特の音楽や踊りも残っている、僕の好きな地方で、経営している
旅行会社としても20年以上前から何本もツアーを出している。自然の景色も素晴らしいが、
食事も美味しい。イタリアの中でもトップクラスだ。
そのようなわけで夕食はオストゥーニに戻ってから二度食べた。まづはポルタ ヌォーヴァと
いう店でイタリア料理、メインには鱈を食べたが素晴らしい味で、昔来た時より又一段と
良くなったようだ。次は和食。もう30年近く前から知っている日本女性が二人、オストゥーニの
町で日本料理屋をやっている。始めてから5,6年経つが、日本人は旅行者でも殆ど行か
ない所だから無理だろうと思っていたのに、土地の人で大繁昌。順番を待つ人で店の前に
行列ができるそうだ。寿司等色々食べたが結構な味。特に魚のサラダとかいう名前の
この店で作り出したカルパッチョみたいのが素晴らしい味で、イタリア人にも大好評だとの
ことだった。
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by pincopallino2 | 2008-01-16 11:46 | Comments(0)