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サルデ-ニァの歴史 4
 地中海世界の覇をかけて紀元前264年からローマと三回にわたる死闘を繰り返した
カルタゴはついに前146年に滅亡するが、彼らの住居跡等はシチリア島ばかりでなく、
サルデーニァにも幾つか残っていて、中には海中に沈んで、海の上から眺める遺跡も
ある。
 中世になるとジェノヴァやピサといった都市国家の支配をうけるようにり、
殊に島の南端にある町カリアリは対岸にある同じ海洋都市としての競争相手
アマルフィの港を出入する商船や軍艦を監視する重要な拠点としてピサに占領された。

(もう一つ書いているイタリア友の会のブログは「です」調なのでこんがらがってしまい、
昨日の項は「です」調。乞ご容赦)。
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by pincopallino2 | 2008-02-29 14:09
サルデーニァの歴史 3
 サルデーニァの近海では魚が沢山獲れました。当時は豊富に生えていた
レバノン杉で造った船で地中海貿易を一手に握っていたフェニキア人が
その魚に目をつけ、世界中に売りさばこうとしましたが、昔のこと、保存施設が
ありません。しかたがないので干物にして売ったそうですが、その時お得意さんから
魚の名前を聞かれても分りません。仕方がないので「サルデーニァの」と答えて
いました。それが鰯(サーディン)の語源になったのだそうです。
 フェニキア人は航海上必要な水や薪炭の補給基地を地中海の至る所に設け、
そんな基地はサルデーニァの島の西海岸にも幾つかありました。
そのうちに強大になってきたローマがサルデーニァにも目をつけましたが、
彼らはイタリア半島の自分達に近い方に港湾施設などを作ったので、
それまでは開発の遅れていた東海岸も開拓されていったのだそうです。
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by pincopallino2 | 2008-02-28 16:01
サルデーニァの歴史 2
 サルデーニァの島にはヌラゲという古代人の家が沢山残っている。
最初の頃は一軒家だが、時代を経るにつれて二軒続きになり、長屋に
なって、やがては大きな集合住宅になっている。
古いものは8千年位前のだと言う人もいるが、これは眉唾ものだろう。
簡単に言えば石を積み上げたもので、入り口が極端に小さく、
屈まないと通れない。要塞家屋だったから石造りで、敵が容易に
入れないようにしてあるのだという説もあって、実際ロシアの宮廷にも
そのような目的で王様の部屋への入り口を小さくしてある所があるそうだが、
僕自身は、石造りなのは周りに家を建てるだけの木が生えてなく、石が
ごろごろしているだけだったから、入り口が小さいのは、昨日の項で書いた
ように、当時のサルデーニァ人は背が極端に低かったからだと勝手に思って
いる。形がエスキモーの造る氷の家イグルーに似ているのも祖先が同じ
中央アジアに住んでいたせいかもしれない。
たまたまヌラゲの調査をしていたカリアリ大学の教授や学生達に
聞いたら、何故こんな建物なのかいまだに不明とのことだった。
(カリアリはサルデーニァの州都で、国立大学もある)。
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by pincopallino2 | 2008-02-27 11:58
サルデーニァの歴史 1
 昨日に続いてサルデーニァの話し。
サルデーニァ人はことによると日本人と親戚関係にあるのではないかと言われている。
その昔、アルタイ山脈の麓辺りに居た種族が南に下がって来て、西の方からやってきた
アラブ系の種族と混血し、メソポタミア地方に古代国家シュメールを築いた。
やがてこのシュメール人たちは当時貴重だった金属の銅を求めて探索隊を西の方に
派遣する。探索隊はエジプトで銅ならこの近くの島に沢山あるよと教えられて渡ってみたら
自然が豊かで木々が青々と茂り、水も豊富だし、住んで居る人もいない。早速この島に
住み着くことにして、彼らの王様シャルダンヌの名前をとってサルデーニァと名付けた。
というのが、日本でサルデーニァの観光局をやっているカリオさんの語る歴史の大要だが、
歴史と伝説が混じる古代のこと、どこまで真実だかは不明にしても、サルデーニァ人には
東洋の血が混じっていると言われている。事実蒙古斑のある子が生まれるそうだし、
極端に背の低い女性もいる。かって僕がローマで仲良くしていた娘さんは身長が
1メートル30センチ位しかなかったし、最近ミラノで知り合った女性もそうだ。
サルデーニァの山奥ではもっと小さい女人に会ったことがある。更にこの島には
シュメール人が神に祈った祭壇と言われるジグラットが残っている。ジグラットは
祭壇ではなく、天文の観測所だったとか、王の墓だったのではないかとの説もあるが、
いずれにしても今あるのはメソポタミアのウルという遺跡とこの島の2箇所だけだ。
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by pincopallino2 | 2008-02-26 12:40
サルデーニァ島
 一昨日、昨日と強く吹いた風の音を聞いていたらサルデーニァを思い出した。
イタリア半島の西、コルシカ島の南隣りにある、シチリアに次いで地中海第ニの大きさを
誇る島だが、始めて行った時はまだイタリア最後の秘境と言われている頃だった。
ついた途端に、此処は風ガ魔物になって絶えず吹いているんだと脅かされた。その晩、
夜中に目をさまして寝付かれぬままボンヤリしていると、遥か遠くの方でなにやら
騒がしい音がする。音は次第に近づいて来て、一瞬窓辺の木がザワついたと思ったら、
今度は段々遠ざかって行った。昼間聞いた話しは本当なんだなと一寸寒気を
もよおしたものだが、その後は何回行ってもそんな恐ろしい風は吹かない。
前に脅した男に嘘をついたなと言ったら、一見無風のようでもこの島では絶えず風が
吹いているんだと言い直した。それじゃー世界中何処でも同じじゃないかと言い返して
やったが、この島、柔らかい砂岩が多いので風が長い年月をかけて彫った奇妙な
岩の彫刻が方々にある。象の岩なんていうのが特に有名で、観光の焦点にもなって
いるが、僕の見つけたのはキリンそのままの岩だ。女陰そっくりのものもあるから、
行ったらキョロキョロと方々を見回して見ると良い。
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by pincopallino2 | 2008-02-25 18:36
ブエノス アイレスの毛皮屋さん
 南米のパリと言われる、アルゼンティンの首都ブエノス アイレス。
古女房と二人で繁華街を歩いていたらたいへんな人だかりにぶつかった。
皆、上を向いている。一緒になって見上げたら毛皮屋のガラス張りに
なった2階でストリップ ショウをやっていた。時々毛皮のコートなどを
身にまとう。うまい宣伝を考えたものだと感心したが、日本だったら
どうだろう。道路交通妨害かなんかで捕まってしまうのではないだろうか。
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by pincopallino2 | 2008-02-23 00:29
フィレンツェのサバティーニ
 サバティーニはかってフィレンツェ一と言われたレストランだった。
勿論今でも個人客としていけばうまい。
 パンフレットを見ると私どもは世界中どこにも支店を持っていませんと
書いてあるのに、フィレンツェ サバティーニというのは東京にもある。
名前を貸しているのかもしれないが、そのへんの仕組みはわからない。
 東京にはもう一つ、サバティーニというイタリア料理の店があるが、
これはローマのサバティーニの支店。ローマで聞いた話しによると
北の方ウンブリア州のオルヴィエート出身のサバティーニという苗字の
三兄弟がローマの庶民的な地区トラステヴェレにレストランを開いた。
そこによく来ていた日本人の写真家に勧められて東京に支店を出したのだそうだ。
音楽を入れたりと割合派手な経営なので繁盛し、お陰でローマの店にも
日本人の観光客が押し寄せるようになった。
 フィレンツェ サバティーニは僕の知る限りフィレンツェも東京の店も
料理一本で、音楽等は入っていない。
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by pincopallino2 | 2008-02-21 10:50
東京外語の歌
 僕がイタリア語を学んだ東京外語にはキンキラ節という学生歌があった。
熊本だかで歌われるものが元だと聞いたことがあるが、何かの折学生達が集まると
歌いだす。
 「ロシア良いとこ、ウォッカが飲めて、スラヴ美人の膝枕」  とか
 「花のパリをアヴェックで行けば、ムーラン ルージュに灯がともる」  
 「赤い腰巻、伊達にはしめぬ。魔除け虫除け男寄せ」 といったような
単純な歌詞で、全て即興だが、一人が歌いだすと皆が後に続き、ところどころをリフレインして
ソレモソウカイナ キンキラキンで閉めると他の者が次の歌を歌いだして果てしがない。
伴奏は太鼓だけ。
 終戦直後、一面の焼け野原を見て「これでは折角外国語を習っても一生海外には
行かれないな」と絶望感に捕らえられながらも、自分達の勉強している国のことを偲んで
歌ったものだ。
 この他に各語部ごとに歌があったが、蒙古語部の蒙古放浪歌は素晴らしかった。
もう一度聞いてみたいが、今では知っている者がいないだろう。
 キンキラ節も歌っていないと思う。
 美術学校(今の東京芸術大学美術部?)にもチャカホイ節という面白い歌があったが
歌詞が卑猥とのことで、戦争中に禁止されてしまった。
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by pincopallino2 | 2008-02-20 12:01
ローマの水道
 トリトーネ通りはコルソ通りとバルベリーニ広場をつなぐ道で、途中に
ナザレーノという細い道が出ている。昔から廃墟みたいな塊があったが
数年前から工事をしていた。完成したのを見るとローマ水道の跡。
水道橋は方々に残っているが、町に入っての配水溝で、
当時のローマの生活をまざまざと見る思いがする。
小さいのでうっかりすると気がつかないが、トレヴィの泉から 
スタンペリア通りをトリトーネの方に出てくるとバスの停留所がある。
それを横切ってナザレーノ通りとの角にあるバールの裏。
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by pincopallino2 | 2008-02-19 11:53
ローマの小説
 古代ローマを題材にした小説は今や古典になった「ドミネ クォ ヴァディス」や
「ネロの都の物語」などの日本語訳があるが、密偵ファルコのシリーズも面白い。
既に読んでいる人も多いと思うが、生来ケチな性格のせいもあって、小便にまで
税金をかけたことでも有名なローマ9代目の皇帝ヴェスパシアヌスの時代の
ローマや方々の属領の様子がわかって面白い。作者は英国のミステリー作家
リンゼイ ディヴィスで、時代考証も入念にやったとのこと。日本語訳が光文社文庫
から10冊くらい出ている。
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by pincopallino2 | 2008-02-18 11:39