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日の丸食堂
 南米のアルゼンチンからブラジルへ移動する時、
よくイグアス経由の道を使った。
 まづブエノス アイレスからアルゼンチン領のイグアスまで
国内線で飛ぶ。国内線だから遠い国際空港に行かないで、
ブエノス アイレスの町の中にある、東京の日比谷公園の
60倍はあるという公園の中の飛行場から飛び立てるから便利だった。
 イグアスに着いたら滝を見て、国境を越え、ブラジルに入国し、
今度はブラジルの国内線でサン パオロやリオ デ ジャネイロに行く。
ある時その国境近くで日の丸食堂と手書きの日本語の看板を見た。
入っていくと若い日本人の男がいた。日本で脱サラをして来たのだ
そうで、僕の持っていた電車の定期券を見てやたら懐かしがっていた。
「あんた達、ツイテルね、運が良いよ」と言うから何だと聞いたら
鮪が入ったんだそうだ。生きの良いマグロだと盛んに吹聴するが、
太平洋からだって、大西洋からだって何日かかって運んで来たのか
わからない不便な山の中。しかも食堂自体四方から埃が舞いこんでくる
掘立小屋。氷はあるんだろうが、電気冷蔵庫なんて見当たらない。
お腹をこわしでもしたらたいへんだから、早々に引き上げてきたが、
滅多に来ない日本人の客を逃して、彼、さぞガッカリしたことだろう。
この食堂、間もなく無くなってしまったが、彼その後どうしただろうと
今だに気にかかっている。
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by pincopallino2 | 2008-09-30 17:50
唾を吐くな
 ちょっと汚い話しだが、一昔前のイタリアでは
歩いていると Non Sputare と書いた看板が
やたらと目についた時期があった。「そのへんに
唾を吐き散らすな」という意味だが、その頃の
日本には公共の場所に痰壷が置いてあったと思う。
 終戦後進駐してきたアメリカ軍の兵隊が路上に
唾をはき散らすのを見て、行儀の悪さにあきれたものだ。
場所を構わず唾を吐くのでは中国人が有名だが、
最近は日本でも若者が所構わず唾を吐いている。
下品なこと考えもしないのか、恰好良いとでも
思っているのか知らないが、ずいぶんだらしなくて
みっともない行為だ。
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by pincopallino2 | 2008-09-29 10:59
メキシコ
 このところ、イタリアを離れて他所の国のことばかりを書いているが、
メキシコも好きな国の一つだ。
 メキシコ シティを歩いていると、きれいな音楽が流れているが、
曲の名前がわからないから、レコード屋に這入っても買えないで、
随分残念な思いをした。
 夜のマリアッチ広場も面白い。プロからアマチュアーまでの楽団が
所狭しと屯していて、いくらか払うと聞かせてくれる。
なにしろ野天だから、他の人が払ったので聴いていれば何時間でも
ただで楽しめる。
 太平洋岸の有名なリゾート地アカプルコからメキシコ シティに行く道は
支倉常長達もローマに行く時通ったところだが、途中の教会のお堂に
モザイクで「タイコウサマ」太閤様とローマ字で書いてあったのには驚いた。
ただしその前後のモザイクは欠け落ちてしまっているのでなんと
書いてあったのか不明。このあたり、支倉一行の中で、日本に帰りたくない
従者達の何人かが残ったのだそうで、日本名と思われる名前の人が
結構いる。
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by pincopallino2 | 2008-09-27 11:05
ミューオリンズ  その3
  ニューオリンズに行ったら必ず入るのがプレザヴェーション ホール。
というより此処が目当てでニューオリンズに通ったのかもしれない。
デキシーランド ジャズのメッカだが、汚い半分壊れかけたような
木の小屋だった。入口にがんばっている小母さんに入場料
(はじめはたったの1ドルだった)を払うと、さしずめ昔の日本の八百屋さんが
天井からつるした笊に売上金を放り込んでいたような感じで箱に突っ込む。
その後ろは短い廊下。片隅に埃まみれのレコードが並んでいて、
いつもそのうえに猫が寝ていた。ホールには廊下の途中から入るが、
ドアなんてない。かすかにトイレの臭いが漂う狭い室内はガランとして
ベンチが4,5脚おいてあるだけ。ベンチに座れない客は立ったり、ベンチの前の
床に胡坐をかいて聴く。天井には穴が開いている。
 演奏ステージも同じで、床より10センチ位たかいだけ。隅にホンキートンキーの
ピアノが置いてある。蓋なんかとれちゃって、蜘蛛の巣が張っていたりする。
演奏するのは黒人のおじいさんやおばあさん達。かっては世界中を演奏して
歩いて、老後を故郷のニューオリンズで過ごしているような人たちだ。
仕事というより好きでやっているような感じ。でも彼らの演奏は素晴らしい。
一回入ったらいつまでいても文句は言われないから、いつも最後まで
聞き惚れていた。演奏者が年寄りばかりのせいか、プリザベーションが
終わるのは比較的早い時間だった。楽器を抱えてトボトボと家路につく
年老いたプレーヤーが時々立ち止まって、他のデキシーランドをやっている
店をのぞいている姿も風情があった。このあたりにはおじいさんとおばあさんが
バンジョーを弾きながら歌うケージャンなんて音楽もあって楽しい所だったが、
去年の台風でどんなになってしまったのだろう。下町は土地が低いので
お墓も宙に浮いてるような感じで造ってあったから、たぶんプレザベーション
ホールも壊れてしまっていると思う。
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by pincopallino2 | 2008-09-26 15:05
ニューオリンズ   その2
 ニューオリンズで面白いのは下町の川に沿ったフレンチ クオーター。
しびれる。
 大体が夜の町だが、昼間もショーボートが汽笛で音楽を演奏したり、
ベンチに坐って隣の男に話しかけたら銅像だったりして結構楽しい。
名物の鯰やクレオール料理を食べるのも良いだろう。
 日が暮れだす頃、どこからかデキシーランド ジャズが風に乗って流れて
くると、もうホテルになんかジッとしていられない。
 アフリカ系の小さな子供が歩道に木の板を敷いてタップダンスを踊っている
道の両側はバーやレストラン、レコード屋等が並んでいて、デキシーや
ブルースが道一杯に響いている。バーではストリップもやっていて、
呼び込みの男が時々幕をあげてみせてくれる。よっぽど入りたかったが、
女房、子供が一緒だったので止めた。
(続く)
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by pincopallino2 | 2008-09-24 12:25
ニユー オリンズ  その1
 
テレヴィから聞こえてくるデキシーランド ジャズの調べが耳に入って
久し振りにニューオリンズのことを懐かしく思い出した。
New Orleanns,元来がフランスの地名をアメリカ語で発音するのだから
どういうふうに言ったらよいかわからない。
アメリカ人はニュー オルレアンズと言っているようだが、
日本語ではニュー オリンズだと思う。
 アメリカ南部、ルイジアナ州のミシシッピ川の河口近くにあるこの町は
独特の雰囲気を持っている。上の町と下の町にわかれていて、
その間を日本では「欲望と言う名の電車」として有名な市電が走っている。
暇な時はなんの目的もなく始発と終点の間をよく往復したものだが
上の町は住宅街。結構高級な家も沢山あって、映画「風とともに去りぬ」に
出てくる家もあった。ある金持ちがソックリのものを建てたのだそうだ。
下の町は商業地区で高層建築が並んでいるが、面白いのは河口の付近。
 その昔フランスの植民地だったので、その雰囲気が色濃く残っているところに
南部だからアフリカ人の血が入り、スペインも多少混じって所謂
クレオール(混血)文化をかもし出している。
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by pincopallino2 | 2008-09-23 11:08
蝉の声
 一昨日だかのラジオを聴いていたら、日本の女性からのメイルで
夫のドイツ人が蝉の声に耐えられないのだといっていた。日本に
住んで居るのか、ドイツにいるのかは聞き漏らしたが、ヨーロッパの
蝉は日本のように美声でなく、電信柱の上の変圧器がブッ壊れたような
鳴きかただから、しようがないかもしれない。
 もう一人の女性のメイルはアメリカからで、蝉が沢山鳴いていると
アメリカ人の同僚に言ったら、除虫屋を呼ぼうといったそうだ。
アメリカの蝉もヨーロッパのと同じようだから無理もないのだろうが、
色々な蝉の声に夏が来たのを知り、こおろぎの鳴く音に秋を感じる
我々は恵まれた自然に囲まれて幸せだと思う。ビルばかりが建って
マンション住まいの都会ではそんな虫達に四季を感じることも
少なくなっているのだろうが、祖先が味わってきた日本独特の
情緒は何時までも残しておきたい。
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by pincopallino2 | 2008-09-22 18:07
始めてのヴェネツィア
 始めてヴェネツィアを訪れたのは45年程前の12月。
女房と子供の三人連れだった。
 ローマから夕方の国内線で飛んだ。
 飛行機はおむすびみたいな形をした三角窓のカラベル。
初期のフランス製中距離用ジェット旅客機だ。
 ファースト クラスだったが、短い時間なのにフルコースの
夕食が出たのには驚いた。デザートの時にはもう着陸態勢に
入っている。食べ残した果物はポケットに入れて持ってきた。
 当時のヴェネツィアの空港はリド島の端にあったから
まづは船着場迄タクシーに乗り、そこからホテルまでは
水上タクシー(モーターボート)で直行。
 泊まったホテル ルーナの部屋は細い路地に面していた。
夜遅く、靴音が建物の壁に響く。窓を開けて見たら、
オーヴァーを着てハットを被った長身の男が、これも 
スマートな女性と寄り添いながら、人気のない雨上がりの
街角を消えていくところ。淡い街灯の光に浮かび上がった
その姿はまるで映画の1シーンを見ているようだった。
 そんな景色が気に入って、以後そのホテルにはよく泊まったものだ。
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by pincopallino2 | 2008-09-19 12:41
イタリアのデパート
 デパートメント ストアー、所謂 百貨店は100年代の終わりごろ
フランスで生まれたものだが、それをイタリアに持ち込んで来たのは
ボッコーニという兄弟の企業家だった。
 1889年、ミラノに Alle Citta’ d’Italia (直訳すれば「イタリアの
町々で」と言ったところだろうか)という店を出したが、1917年に
上院議員のボルレッティの意見に従って名前を La Rinascente
(ラ リナシェンテ)と変えた。 この名前、実際にはイタリアの熱血詩人と
して有名なガブリエーレ ダヌンツィオが考え出したのだそうだ。

この話し、昨日書いた ローマ スタイルという本に出ていたものだが、
ローマではコロンナ広場とフィユーメ広場にあるこのデパート、
外人客がパスポートと航空券か汽車又は船の切符を見せれば
1割引いてくれるそうだ。但し20年前の記事だから今でも同じか
どうかは分からない。
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by pincopallino2 | 2008-09-18 18:29
ローマのショッピング ガイド誌 Roma Style
 本棚の中からローマ スタイル (Roma Style)と言う小冊子を見つけた。
表紙にローマのコルソ通りにあるホテル、プラザの名前が入っている。
よく泊まったホテルだからその時持って来たのだろうけれど、言うなれば
ローマのショッピング ガイド。地区別にスポンサーの店を洒落た形で紹介している
60頁ばかりの本だが、
第1幕  中心街
インテルメッツォ 1 あるデパートの話
第2幕  他の地区、他の発見
インテルメッツォ 2 成功した5人姉妹
インテルメッツォ 3 ある谷間の秘密
インテルメッツォ 4 ガブリエーレ ダヌンツィオと宝石
インテルメッツオ 5 ヴェネーツィアの芸術家ヴェロネーゼ
第3幕  レストラン
とオペラもどきに逸話を載せている。
一寸面白いので紹介していこうと思うが、
1988年と20年前に発行された本なので、中身は若干時代遅れに
なっているかもしれない。
 
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by pincopallino2 | 2008-09-17 15:00