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男と女  続き 日本の女性
 今から50年前のヴィア ヴェネトはローマ最高級の洒落た通りだった。
秋の昼下がり。人影も少ないその通りを中年の日本人夫婦がゆっくりと歩いていく。
 背が低く、中折れ帽をかぶったご主人はステッキを突いて闊歩している。
英国の漫画に出てくる日本人ソックリだったが、着物姿の奥さんが素晴らしかった。
ご主人の後について歩いていて、決して先に立ったり、並んだりしない。
普段から着物の生活をしているのか見事な着こなしで、日本固有の美しさの中に
つつましさ、しとやかさが漂よい、地味な着物の柄とともに華やかなローマの町の
雰囲気の中に溶け込んで、立ち止まって見ているイタリア人もいた。
 現代では着物は生活に不便なのかもしれないが、男女とも洋服ばかりで、
たまに着物を着ても、慣れていないから無様な格好になってしまう。
着物の生活、それに日本女性らしい淑徳はもう過去のものになってしまった
ようだ。
 
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by pincopallino2 | 2009-04-30 13:52 | Comments(2)
男と女 続き 恋と嫉妬のローマの夏の夜
 ローマの夏。観光バスに乗って夜の市内観光に出かけた。
乗客は世界中から集まった観光客ばかり。皆夜のローマに酔いしれている。
隣の座席は中年のフランス人夫婦。上機嫌で僕にも色々話しかけてくる。
奥さんはなかなか綺麗な人だった。上品で背もスラリとしている。
バスは何箇所かで停まり、その都度車を降りて夕食だのお茶だののサーヴィスがある。
そのうち奥さんの態度がなんとなくおかしくなってきた。気をつけて見ていると
彼女の傍に必ず男が居る。後からジッと見つめていたり、横に座ったりと
しつっこいことこの上ないが、たまたま同じバスに乗り合わせただけで、知り合いでも
ないらしい。さすがにご主人も気がついて奥さんに相手を見るなというようなことを
言ったらしいが、それでも男はあきらめない。ご主人の機嫌がだんだん悪くなって
しまいには奥さんに文句を言い出し、遂に奥さんはバスの中で泣き出した。
そんな奥さんを男は自分の席から振り返ってみつめたまま。
残念ながらバスは終点に着いてしまったので、その後この三人がどうなったのか
知らないが、或いはこの男、前から奥さんと知っていて、同じバスに乗るように
示し合わせていたのかもしれない。昔なら決闘ものだろう。
いずれにしろ、ヨーロッパの恋と嫉妬がどんなに激しく、人前もはばからないものかを
赴任早々見せてもらい、その後の勉強になった。
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by pincopallino2 | 2009-04-28 14:39 | Comments(0)
男と女  続き ダルマチアの女性
 北イタリア、マッジョーレ湖のロンバルディア側にあるイスプラ。
丘の上にヨーロッパ原子力研究所が建っているくらいの小さな部落だが、
家並みの間の路地を降りていくと湖畔に可愛らしいホテルがあって、
ローマの高級ホテル、グランド ホテルのオーナーが趣味で建てたとのこと。
今から50年近く前、開業仕立ての頃にに2回程泊まったことがある。
素晴らしく綺麗で淑やかな女の子が沢山働いていた。
聞けばホテルが完成した頃、アドリア海を挟んでイタリア半島と向かいあって
いるユーゴスラビア(今のクロアチア)のダルマチア沿岸に大地震が起こって、
多くの家が倒壊し、死人もかなり出た。孤児になった子も沢山居たので、
可哀そうに思ったオーナーが女の子達を何人か引き取って働かさせているのだそうだ。
皆美人で可愛らしく、ヨーロッパにはこんな素晴らしい女性がまだ居たのかと感激した。
 それから数年後、ローマでイネスというダルマチアの女性と知り合ったが、
この女性も美人で、人間的にもたいへん魅力的だった。なによりも淑やかなので、
今度生まれ変わったら、ダルマチアの女性と結婚すると心にかたく誓った次第。
何よりもまづそんな女性達がいるダルマチアに行ってみたかった。でもその頃は
共産国家なので、入りにくく、念願がかなったのはズッとあとだったが、心に
描いていたような女性は見つからない。ダルマチアの女性は数年のうちに
すっかり変わってしまったのだろうか。
 
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by pincopallino2 | 2009-04-27 16:24 | Comments(6)
男と女  続き
 ローマ支店の営業所で一人留守番をしていた。
店は日本流に言って一階だし、道路に面して大きな硝子が三枚はまって
いるので外の見通しはすこぶる良い。
 土曜日の午後3時頃だから人通りも殆どなかった。
なんとなく店の前がざわざわし始めたので目をあげると派手な身なりをした
中年の日本婦人が入ってこようとしているが、その後に浮浪者に近い格好をした
イタリア人の男が6人ばかり一列になってくっついていて、彼女のことを
コンテッサ(伯爵婦人)だという。
 やっとのことで男達を振り払い、中に招じ入れて色々話しを聞いてみると、
自分は何々伯爵家の人間で戦争前からローマに住んでいる。
イタリアの男達がつきまとってうるさいが、ドライブが大好きで
助手台に乗せてもらったら、もう何をされてもかまわない気になると、
とりとめのない話しをしてプイと出て行ってしまった。
彼女が住んでいるところは日本人が殆ど行かない地区だし、日本の観光客も
まだ居ない頃だから、誰にも気づかれなかったのかもしれないが、
それにしても戦争中もローマに居たなら、その間の生活費はどうしていたのだろう。
 この婦人を見たのはこの時一回だけ。噂にも聞かなかった。
 今思い出しても不思議な幻に会ったような気がする。
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by pincopallino2 | 2009-04-25 13:32 | Comments(4)
男と女  続き
 知人のイタリア男
 ローマで既婚の女性と仲良くなった。勿論相手もイタリア人。
よくある話だが、主人が出張に出かけた隙を見て夜、彼女の家に行き、
よろしくやっているところに、出張先に泊まる筈の主人が突然帰ってきた。
彼女の家はマンションの3階。日本式に言えば4階だ。
着る暇も無いから衣類をまとめて抱え、おもてのとよに摑まって
降りていたら、運悪く警官が二人やってきた。夜中に男が裸でとよに
摑まっているのだから、見つかったら捕まるのは必定。
警官が上を見ないよう息をひそめていたそうだが、
あの時ほど辛い思いをしたことはないと言っていた。
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by pincopallino2 | 2009-04-24 11:33 | Comments(2)
男と女
  ローマからコペンハーゲンに出張した時、同じ事務所のイタリア人達から
「イイナア、フリーセックスの国だぜ」と羨ましがられた。
 コペンハーゲンに行って日本人だけどローマに住んで居ると言ったら
「イイナア、女の子は選り取り見取りなんだって」とここでも羨ましがられた。
 デンマークだってそんなに風紀が乱れているわけではないし、イタリアも
見ず知らずの女性にいきなり声をかけたら無視されるか、下手をすると
殴られてしまう。イタリアでもデンマークでもそんな性が乱れているわけでは
ないのに、 同じヨーロッパの国どうしでもお互いの国の情報はわかっていない。
 もっとも40年ほど前のイタリア、殊に都会では朝から街角に男が立っていて
通りかかる女性に遊ばないか、遊ばないかと声を掛けていたものだが、
大体が浮浪者みたいな連中で、身なりも汚いから相手にされない。
暇な時、引っ掛かる女性がいるのかとニ、三時間傍で見ていたが、
こっちも仲間と思われそうになったのでやめてしまった。
そんな男達もイタリアの経済が上向くにつれて見られなくなった。
 外国人に言わせると、今女性を簡単に口説き落とせるのは日本だとのこと。
 しとやかで、貞操観の強い大和撫子は消えて行きつつあるのだろうか。
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by pincopallino2 | 2009-04-23 11:58 | Comments(0)
ジグラット
 サルデーニァ島の北部、サッサリとポルト トルレスとの中間あたりに
シュメール人の祭壇ジグラットが残っている。
 サルデーニァの人に言わせると太古アルタイ山脈の麓あたりに住んでいた
民族が南下して途中西の方からやってきたアラヴ人と合流、混血して
シュメール人となり、紀元前3500年頃ユーフラテス川がペルシア湾にそそぐ
河口近くに定住してウルとかウルクといった都市国家を造っていった。
 彼等は太陽だか月を祀る為煉瓦で大きな祭壇ジグラットを設けたが、
やがて当時の貴重な金属の銅を探しに捜索隊を西の方に派遣する。
 捜索隊はエジプトで銅ならこの近くの島にあると聞いてサルデーニァにわたると
気候は温和、水も豊かで緑に囲まれ、食糧も容易に手に入りそうだし、他に人も
いないので、本国に使いをやり、この島に住み着くことにした。
 島の名前のサルデーニャは彼等の王シャルダンヌの名前をとってつけたとの
ことである。。
 サルデーニャにはるか彼方に居たシュメール人のジグラットが残っているのは、
上述の話しが本当であることを示しているのかもしれない。現在ジグラットは
メソポタミアのウルの遺跡とサルデーニァの2箇所にしか残っていない。
 サルデーニァ人はその後色々な民族と混血していったが、今でも最初の民族性を 
保っているのか、お尻に我々と同じ蒙古斑がある人もいるし、身長メートル30センチ
位の小さい女性も良く見かける。
 大元の先祖はアルタイ山脈の麓にいたというから、我々とは姻戚関係かもしれない。
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by pincopallino2 | 2009-04-22 13:53 | Comments(4)
かけスパゲッティ
ローマ、ヴィア アッピア アンティカ、サン セバスティアーノの
カタコンべの前にサン カッリストというレストランがある。
広々とした庭で真中が野外のダンシング フローアになっていた。
昼間はカステッリ ロマーニ(ロ-マ郊外の古い小都市が並ぶ一帯)や
モンテ カーヴォ(海抜950メートルの山)が眺められ、夜は夜で
独特の雰囲気を醸し出していてよく通ったものだ。
 昭和天皇のお嬢さんの池田厚子さんが新婚旅行でローマに来られた時
夕食にご案内したら翌日スイスに発つ予定を変えてローマにもっと居たいと
おっしゃりだして困ったことがあった。
 この店、その後少し様変わりしたが、かけ蕎麦ならぬかけスパゲッティを
新品として出していた。多分まだあると思うので、興味と機会があったら
試してみたら如何。
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by pincopallino2 | 2009-04-21 18:31 | Comments(0)
オペラ作曲家 ジュゼッペ  ヴェルディ
 1901年1月27日、オペラの作曲家として世界的に有名な
ジュゼッペ ベルディ(Giuseppe Verdi)がミラノで死んだ。
1813年10月10日生まれだから享年88か。
 彼が生まれたブッセート(Busseto) はイタリア中部の
パルマから40キロくらい離れた村で、彼の生まれた家、
住んでいた家、よく通ったレストラン等がいまだに残っていて、
彼の名前をつけた可愛らしいオペラ劇場もある。
 このあたり、骨抜きの生ハム、クラテッロの産地だが、
ブッセートと村の名前をつけたお菓子もある。
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by pincopallino2 | 2009-04-20 14:59 | Comments(0)
回想のレストラン:カジーナ デッレ ローゼ
 ローマの公園、ヴィッラ ボルゲーゼの中にカジーナ デッレ ローゼ
(Casina delle Rose:バラの家)という高級レストランがあって、
赤い紐の手すりがついた階段を登っていく客席で食事をしながら、
中庭を挟んだ向こうの舞台でのショーを楽しむことが出来た。
客席や舞台は屋根つきだが、後は戸外といった感じだから
夏の夜なんか結構涼しかった。50年近く前のことだからはっきりとは
覚えていないが、冬は休業していたように思う。
この店、残念ながら今はない。建物の一部がボロボロになって残って
いるだけだが、由緒のある物なのかも知れない。
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by pincopallino2 | 2009-04-17 11:21 | Comments(2)