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サルデーニァ島  続き 4
 サルデーニァの海岸はリアス式のところが多いから
入り江が沢山ある。そんな入り江でボラが゙遊んでいるうち、
海との境に砂がたまって、帰れなくなり、入り江の中で
ドンドン繁殖する。だからサルデーニァではボラの卵が
沢山とれ、スパゲッティにあえたり、干してカラスミにしたり
する。始めてサルデーニアに行った時はカラスミも安く、
本土側で買う値段の半分もしないくらいだったが、
今は値上がりして、日本で買うのと余り変わらない。
ボラの卵のスパゲッティは最初の一口、二口め位は
一寸生臭いが、結構美味しい。10年ほど前から日本でも
流行りだした。
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by pincopallino2 | 2009-11-30 11:17 | Comments(0)
サルデーニァ島  続き 3
 サルデーニァ北部,この島ではカリアリに次いで2番目に大きい都市
サッサリの近くにサンティッシマ トリニタ ディ サッカルジアという
教会がある。白と黒の石を積み重ねたピサ・ロマネスク様式の建物で、
トスカーナの山奥に修道院と隠遁修道院を持つ僧団が12世紀に
建てたものだそうだが、荒野の中に一軒だけポツンと立っている。
通りがかりに始めた見た時は周りに人家も見えないので廃寺かと思った。
強烈な印象だった。その後何回も見に行っているうちにお祭りの日に
でくわした。普段は人っ子一人いないのに近郷近在の住民が集まって
聖体行列までやっていたが、野つ原だからせいぜい300メートル位で
終わってしまった。
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by pincopallino2 | 2009-11-28 12:11 | Comments(0)
サルデーニァ島  続き 2
 スペインのバルセロナにサルダナスという素朴な踊りがある。
土、日曜日の昼と夕方、大聖堂の前の広場に近所の
おじさん達がそれぞれの楽器を手に持って集まってきて
音楽を演奏始めると、そこいらに居た人達が高く挙げた手を
繫ぎ合い、輪になって踊りだす。最初は二人だけだった輪も
通りがかりのサラリーマンや買い物帰りの主婦までが
鞄や荷物を地面に置いて加わって、見る間に大きくなり、
輪の数もドンドン増えていく。一曲の踊りは10分又はそれ以上と
長く、終わった時に手を高く挙げる。
 一見単純そうだが、ステップが複雑で難しいのだそうだ。
この踊り、バルセロナ付近を治めていたアラゴン王国が
サルデーニァ島を支配下においていた時代に土地の踊りを覚えて
持ってきたもの。だから踊りの名前もサルデーニァからとってサルダナス。
 サルダナスは僕の大好きな踊りで、バルセロナに行く度に楽しんでいたが、
今は別の場所でたまに観光用に踊られる位になってしまったようだ。
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by pincopallino2 | 2009-11-27 12:01 | Comments(0)
サルデーニァ島 続き 1
 サルデーニァの周りでは鰯が沢山獲れたが、
冷凍保存なんてない昔のことだから貯蔵するには
干すしかない。当時地中海貿易を一手に引き受けて
いたようなフェニキア人がその鰯の干物に目をつけて
各国に売り歩いたが、「何ていう魚だ?」と聞かれても
名前がわからない。仕方がないので「サルデニアのです」
と答えたのが鰯(英語ではサーディン)の名前の
始まりだそうだ。
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by pincopallino2 | 2009-11-26 11:46 | Comments(0)
サルデーニア島
 昨日メソポタミアとサルデーニァに1ツづつしか残っていない
ジグラットのことを書いたが、メソポタミアでジグラットを造った
シュメール人はもともとアルタイ山脈の麓にいた民族が南下
してきて、その途中アラブ系の人種と混血して、メソポタミア
地方にシュメールという連邦を建てたのだそうだ。日本人の
祖先もアルタイ山脈の麓の出だというから、或いは遠い昔に
交流があったかもしれない。現にサルデーニァの殊に女性は
小柄な人が多く、蒙古斑のある者もいる。
 シュメール人は銅が欲しくて探しに出たが、エジプトで銅なら
近くの島にあるよと聞いてサルデーニァに渡ってみたら
気候は温暖だし、海があるので食糧も豊富。緑もメソポタミアより
多い楽園だったので、シュメールに残っていた人達を呼び寄せて
住み着き、彼等の王様の名前シャルダンヌをとってサルデーニァの
名前を付けたのだ、という人もいる。
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by pincopallino2 | 2009-11-25 11:54 | Comments(0)
ジグラット
 多分神に祈りを捧げる壇であったろうといわれるジグラットは
今から4千年以上前のものが復元、修理されてイラクに残っているが、
その同じジグラットがサルデーニァ島の北部にあるから
 メソポタミアの人間がサルデーニァにわたってきたのは事実かも
しれない。
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by pincopallino2 | 2009-11-24 11:39 | Comments(0)
聖骸布
 磔刑になったキリストの遺体を包んだといわれる、所謂聖骸布はトリノの
大聖堂におさめられているが、年代検査を行った結果中世のものであると
判明。従って科学的には本物ではないと結論付けられているが、最近更に
調べたところ頭部の横に「ナザレのイエス」とアラム語その他で書かれている
ことがわかった由。当時は死刑になった罪人の遺体を家族にかえしていたので、
識別の為包んだ布に名前を書いたのだろうとのことだ。
 この話し、イタリア人が詳しく考証して書いた小説によると、
聖骸布は中世の頃ある僧団の僧侶によって今はイスラエル領の
アッコンから南フランスの僧院に運ばれたそうだが、その時聖骸布と同じ
ような布に包んでおいたら、聖骸布の絵がきれいに写っていたのだそうだ。
この話しだと今残っている中世の布でも辻褄はあう。
 でも本物の聖骸布はどこに行ってしまったのだろう。
結局は十字軍の兵士達が東方から持ち帰った偽物の聖遺物と同じなのだろうか。
 ちなみに、聖骸布は本物だと信じ、本までかいていリイタリア人の神父が
東京に居た。
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by pincopallino2 | 2009-11-23 11:55 | Comments(0)
ローマに広島・長崎通り
 ニュースで知ったのだがローマに広島・長崎通りと
云うのができるそうだ。但し場所はまだ未定とのこと。
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by pincopallino2 | 2009-11-21 11:55 | Comments(0)
クアルテット チェトラ
 何日か前にお化けのことを書いたが、それで思い出した話し。
昔、イタリアにクアルテット チェトラという男性3人、女性1人の
ヴォーカル グループがあった。歌いながら簡単な劇もするので
面白かったが、その中で「泥棒とお化けと恋人達」というのがあって、
電気を消した家の中で恋人どうしが喋々喃々(ちょうちょうなんなん)と
していると、誰も居ないと思った泥棒がしのんでてくる。気づいた恋人達が
泥棒を追いかける、泥棒は逃げ回るといったところにお化けが出てきて、
最後は4人が暗闇の中で、捕まえたリ逃げられたりの大騒ぎという筋だった。
 このグループ、イタリア最大のレコード会社チェトラの専属で、たいへんな
人気だったが、今はもうない。レコードは持っているが、ヴィデオがあったら
是非欲しいと思う。
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by pincopallino2 | 2009-11-20 14:02 | Comments(0)
飾り窓  
 昨日はオランダの飾り窓のことを書いたが、
同じようなものをカナダでも見た。
 ケヴェックの町外れ、緩やかな坂を登った
ところの家では居間が道路に面していて
大きな一枚ガラス。カーテンも閉めてないから
坂を上っていく人や車からは丸見えだったが
綺麗に整頓して飾ってあった。たしか一階だての
一軒家だったと思う。泥棒の心配はないのだろうか、
プライヴァシーはどうなんだろうと気になったが、
こうまであけっぴろげで前は車が絶えず通っている
道だからかえって安全なのかもしれない。
 それとも治安の良い地区なのだろうか。
きっとオランダから来た人が住んでいるのだろう。
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by pincopallino2 | 2009-11-19 10:16 | Comments(5)