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煙草 その6  
 イタリアにはsportとかstopと言った煙草が出たが
同じ頃オーストリアにもそんな名前の煙草があって
どっちがどっちだか忘れてしまった。覚えているのは
箱の意匠だけで白と黒のゼブラ ラインの真ん中に
go stopの信号機が描いてあった。
 イタリアも煙草は専売だったが、マッチまでが専売で、
マッチ箱の一つ一つにシールが貼ってあった。
広告用のマッチ箱にもシールが貼られている。ちなみに
マッチには2種類あって、一つはミネルヴァといって
日本でも時々見かける薄い板状のつけ木に点火薬が塗って
あるもの。もう一つは蝋紙を巻いた軸に点火薬が塗って
あって、ざらついた壁などをこすっても火がつく。
チェリーニというが、フランスあたりのギャング映画の
真似をして靴の底でこすって煙草の火をつけたりして
粋がったものだ。
 マッチはまだしも、ライターの石まで専売だったのには
驚いた。道端でうっかり煙草に火をつけたりしていると
経済警察の私服警官が寄ってきて訊問される。ライターの
石にどうやってシールをはるんだろうと思ったが、毎年
税金を払って小さな手帳に証紙を貼ってもらうんだそうだ。
だから手帳はいつも携帯してなくてはならないが、
使い捨てのライターが氾濫している今はどうしているんだろう。
前もって税金を徴収しているのかもしれない。
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by pincopallino2 | 2010-07-31 10:14 | Comments(0)
煙草  その5
 当時のイタリアの煙草ではナツィオナーレ スーペル
エスポルタツィオーネ センツァ フィルトロが一番
ポピュラーだった。センツァ フィルトロはフィルターなし、
両切りのことだが、あまり名前が長いので普通は
ナツィオナーレで通っていた。この煙草は日本でも
イタリア大使館の人に貰って吸ったことがあったが、
他にアウローラ(暁)なんていうのもあった。
 一寸値段の高いものではマチェドニア(マケドニア)
ドゥエ パルメ(椰子の木2本)、セルラリオ(ハーレム)、
エーデルヴァイスなんていうのがあって、いずれも
平べったい箱に入っていた。この4ツの煙草の模様を
4面に貼った灰皿が専売局から出て、今だに大事に
使っている。
 イタリア産の葉巻もあって、愛好者も結構いる。
今は専売局から綺麗な箱に入れて売り出されているが、
始めはトスカーナあたりの農夫達が作っていたもの
らしく、名前もトスカーナ。昔は雑貨屋で売っていた。
辛いし臭いと言う人もいるが、僕は好きだった。
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by pincopallino2 | 2010-07-30 10:32 | Comments(3)
煙草  その4
 戦後はピースとか新生が出た。こげ茶色の包装紙の 
ものもあったと思うが名前は忘れてしまった。 
 その頃だったろうか、ある放送局からイタリアの歌の
翻訳を頼まれた。聞いてみるとスイスの放送局から
送ってきたものらしい。イタリア語圏の童謡らしかった。
 題名はなかったが、子供が歌っている歌詞の一部は
調子が良いので今でも覚えている。
チッパラ パラ チッパ  マッチをする音
ウパ ウパ ウーパ    煙草をスパスパ吸っている擬音
ソーノ フマトーレ     私は煙草のみ
 今なら絶対に放送されない歌だろう。



 
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by pincopallino2 | 2010-07-29 10:47 | Comments(0)
煙草  その3
 終戦になるとキャメル、ラッキーストライク、チェスターフィールド、
オールドゴールドといったアメリカ煙草が入ってきた。
正規に売っているのではなく、アメリカ兵から貰ったり、横流しの
ものだったから警官に見つかると没収されたりしたが、まだ煙草の
味もよく分からなかったので、日本のに比べ、それ程美味しいとは
思わなかった。
 その頃学生達が草野球をしていると、通りかかった米兵が一本
打たせてくれという。バットを貸すと今火をつけたばかりの煙草を
投げ捨てて打ち、行ってしまったが、彼の姿が見えなくなった途端
学生達が米兵の捨てた煙草に飛びついて奪い合った。
敗戦の惨めさを身にしみて感じた光景だった。
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by pincopallino2 | 2010-07-28 10:44 | Comments(0)
煙草  その2
 光という煙草が出たのは戦争中だったと思う。
誉は軍隊で兵士達に支給されていたようだ。
 天皇陛下ご下賜という名前は忘れたが菊の紋章
がついたものがあって、宮城内の掃除なんかを
すると中学生なのに二、三本づつもらったものだ。
 戦況が思わしくなくなり、やがて終戦になると 
煙草も配給制。20才前から吸い出した僕は
親父の分をくすねていたが、いよいよなくなると
まだ残っていた紅茶の葉をパイプにつめて吸った
ものだ。
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by pincopallino2 | 2010-07-27 08:41 | Comments(0)
煙草  その1
18の時から65年間煙草をすい続けた老愛煙家で、
今でも1日40本から50本深々と煙を吸い込んでいるが、
最近は禁煙の場所が増え、秋には煙草の値段も上がるとのことで、
色々と不便を感じている。
  子供の頃は男のお客さんが来ると客間が煙で霞んだ位だった。
当時は敷島だの朝日だのといった吸い口の長いものが流行って
いたが、両切りのゴールデンバットはその頃からあって、たしか
一袋10本。吸い口も別に入っていた。意匠は緑色に金の蝙蝠が
描いてあって今とあまり変わらない。他にエアーシップなんて
いうのもあって、10本入り。飛行船がかいてあった。
  煙管で吸う人もかなりいて、桔梗とか、たしかあやめと言った
刻み煙草を売っていた。そんな人の為に竹筒を15センチ程に
切ったものと、火種に炭を入れた小さな火鉢が対になった煙草盆を
用意したものだ。煙管の煙草は二、三服ですい終わってしまうから
詰め替えなければならないが、器用な人は手の平にすい終わって
まだ火ががついている吸殻を転がしながら、片方の手で新しい煙草を
煙管に詰め替えて火をつけていた。
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by pincopallino2 | 2010-07-26 11:03 | Comments(0)
 梅雨の終わり頃から殆ど毎日
雷雨警報が出ていて、昨夜も
箱根から家に帰る途中、丹沢の
あたりで盛んに稲妻が光って
いるのが見えたが、かってミラノから
ローマに向っている時、乗っていた
飛行機に落雷したことがある。
主翼の先の避雷針だったので
瞬間的に窓の外が明るくなったが、
機体自体は殆ど揺れなかった。
 あるパイロットから聞いた話だが、
シンガポール、バンコック間は
まさに雷街道で、落雷の為機体に
穴が開くこともあるそうだ。
勿論機体メイカーはそんなこと
百も承知で飛行機を作っているから
落ちるようなことはまづない。
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by pincopallino2 | 2010-07-25 15:29 | Comments(0)
チョコレート
  子供の頃は森永や明治製菓の板チョコを食べていた。
第二次世界大戦が終わってアメリカのハーシーだかの
板チョコを食べた時はこんなに美味しいチョコレートが
あるのかとビックリした。
  その後イタリアに暫く住むようになってヨーロッパの
チョコレートを味わったら素晴しい味でアメリカ製のものは
食べる気がしなくなった。イタリアでは板チョコは殆どなく
一口づつほうばるようなものが多いがそのどれもが美味しい。
  チョコレートもそれぞれの国の気候、風土、趣味嗜好、
それに食べた時の健康状態や気分で異なるのだろうが、
ブラジルのは塩気が強くてザラザラした感じで好きになれなかった。
  美味しいのはクロアチアのチョコレートで包み紙に
Bajaderaと書いてあった。
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by pincopallino2 | 2010-07-23 10:47 | Comments(0)
自然の涼風
  梅雨が明けた途端、日本中が猛暑に包まれているが、
随分昔、赴任地のローマから仕事でリビヤのベンガジに
行った時のこと。屋根に穴が開いて空が見える掘っ立て小屋の
空港からこれでも走るのかと思うようなガタガタのバスで、
動物の骨がちらばっているリビア高原の砂漠を抜けて町に着いた。
  秋とはいえ猛暑の町を歩いて、海岸べりにあるホテルで
チェックインをしている時、地中海からの海風がフロントを
吹き抜けていったが、その涼しいこと。
  以来、自然の風の涼しさにあこがれて夏でも冷房装置は
なるべく使わずに自然の風にあたるようにしている。
  なお、この思い出はリビアがまだ王政の頃のことで、
今のリビヤは空港も綺麗だし、バスも良くなっている。
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by pincopallino2 | 2010-07-22 10:58 | Comments(0)
日伊の恋の物語
半年ばかり休んでいるが、僕のもう一つのブログ
「イタリア友の会ブログ」に数年前、昭和10年頃だろうか、
当時、世紀の恋と大評判だった日伊両国にわたる恋物語の
話しを書いたことがあるが、昨日思いがけず、その当事者の
お嬢さんからお電話をいただいた。素晴らしい恋物語だが
僕自身恩師や先輩達から聞いた話の受け売りだから
詳しいお話を伺って出来たら記録にとどめたいと思う。
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by pincopallino2 | 2010-07-21 18:21 | Comments(2)