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ローマでの独り暮らし  その六
  家から勤務先迄の通勤は路面電車とバスだった。
近くにローマ時代の水道橋が何本も重なって市内に入って
来る所があって、電車はそのあたりを通ってくる。
ジプシー(ロマ)の集団がせぶっている場所なので、
乗客の中にはジプシー(ロマ)の女達もいる。
汚い服装だし、臭いので車掌が降りろと怒鳴るが、一向に
気にしない。彼女達は町の中心に物乞いに行くので毎朝
同じ顔と出会ったりするが、不思議なことに抱いている
赤ん坊がその度に変わっていたりする。赤ん坊は物乞いの時
憐れみを誘う為で、幾らかの手数料を払って仲間から借りて
くるのだそうだ。ジプシー達は結束が固くて親分には
絶対服従だという。貞操観念も厳しい。そのくせ亭主から
売春をしろといわれたら従わなくてはならない。我々とは
考え方が違うのだろう。彼女達は物乞いをしながら、泥棒に
入りやすそうな家を探して亭主に報告をすると、今度は夜
亭主が出かけていくのだそうだ。
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by pincopallino2 | 2010-08-31 10:54
ローマでの独り暮らし  その五
 借りた家の窓の外は大きな広場で、平日の午前中は青空市場が出る。
野菜、果物、肉、魚、チーズ、ハム、ソーセイジ類を始めとしてと食料品は
何でも揃い、同じものを売っている店も何軒もある。食料品ばかりでなく、
衣類、家庭用品何でも売っているから便利だ。2,3分歩いたところに
デパートがあるのだが、殆どの人が市場で買い物をする。食料品などは
市場の方が新鮮で安いからだろうと思うが、こんなことでデパートは経営が
成り立つのだろうかと他人事ながら心配になった。建物の2階だし、
僕の寝ている枕元は丁度野菜や果物の売り場で、朝5時頃から近郊の
お百姓さん達が品物を持ってきて店開きの準備をするから、なれないうちは
うるさくて寝られなかった。
 まだ日本人が珍しい頃だから、そのうち皆と顔なじみになって、朝出勤する
時には方々からジャッポネーゼと声がかかる。
 家は家具、食器つきで借りているから自炊もできるが、面倒なので殆ど外食。
市場で買うのはせいぜい果物くらいだった。2階の部屋から果物やに声を掛けて
上から紐のついたざるにお金を入れておろし、品物とおつりを入れてもらうのだが
「オマケしておいたよ」とどなる彼等の声をいまだに懐かしく思い出す。
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by pincopallino2 | 2010-08-30 10:38
ローマでの独り暮らし  その四
 大家の女性は相変わらずなんとかかんとか理由をつけて
出ていかない。そのうちにコッソリ隠しておいた
コンドームを盗まれた。今はどうだか知らないが、当時の
品物は日本製の方がイタリアのものより各段によかった。
 ある晩帰ったら彼女が悪いことをしちゃったとあやまる。
友達が一つ欲しいというので、黙っていただいたとのこと
だったが、彼女の誘惑の手かもしれないので、日を限って
越してもらうことにした。でも彼女が居なくなったのは
約束の日より一週間位あとだった。
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by pincopallino2 | 2010-08-29 10:00
ローマでの独り暮らし  その三
 大家には仲の良い友達がいて毎日のように遊びに来る。
まだ日本人が珍しい頃だから無理もないかもしれないが、
二人で僕の荷物をかき回しているらしい。
時には親切に洗濯までしておいてくれる。ある日帰ったら
日曜日に洗おうと思って隠しておいた下着類が見るも無残な
姿になって机の上に置いてある。聞いたら洗濯をしてくれたのは
よいが、ナイロン製の下着にごしごしアイロンを掛けたのだ
そうだ。おかげで翌日はシャツやパンツを買いに走った。
 そのうち彼女の様子が段々おかしくなって、「ローマじゃ
恋をするのにお金がかかるのよ」なんて商売女みたいなことを
言い出した。ある晩帰ったら、最近死んだ飼い犬のことを
話し出して、スカートをたくし上げて太ももの噛み付かれた
痕までみせる。まだ30半ばの若さだったから、グラマーの
真っ白い脚を目の前に突きつけられた時は思わずクラクラッと
したが、かろうじて踏みとどまり、翌朝管理人の所に行って
早く出て行かせるように頼んだ。
 管理人夫婦は良い人達で、よく食事によんでもらった。
大抵が鳩の肉で結構美味しかったが、そのたびに彼らの家の
前に飼っている鳩が減っていくのはかわいそうだった。 
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by pincopallino2 | 2010-08-28 11:23
ローマでの独り暮らし  その二
  こっちが引っ越していっても大家の女性には出て行く気配が
いっこうにない。それどころか、昼間出掛けている間に頼んで
おいた買い物をしてくれたりする。帰ると品物が領収書と一緒に
置いてあるからその分の金額を置いておけば良い。丁度の
金額がない時は大目においておくと、翌日おつりがのっている。
他の国のことは知らないが、イタリアでは家政婦も同じことで
例えば毎日か1日おき位の午前中に頼んでおくと掃除、洗濯、
買い物からお料理、つくろい物までやっておいてくれるので、
共稼ぎの夫婦などは便利だ。帰ってきたら奥さんの作るもの
より美味しい料理が並んでいたりする。留守中に来るから
家の鍵は渡しておく。給料は決まった日においておけば良い。
ひどいのになると家政婦にあったことも無く、顔も知らないなんて
こともある。イタリアには泥棒が多くて安心できないなんて
考えている人には想像もつかないと思う。日本では会ったことも
ない人に家の鍵を渡しておくなんてまづないだろう。
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by pincopallino2 | 2010-08-27 10:30
ローマでの独り暮らし その一
  50年近く前でのローマで6ヶ月位独り暮らしをしていたことがある。
家は新聞広告で見つけた。夏の間だけ短期間貸すとのこと。
9月の始めに家族が来るまでの仮住まいには丁度良いからと早速
借りることにした。場所はローマの町はずれで、ナポリの方に行く道に
沿った庶民的な所に立つ1マンションの1階(日本式に言えば2階)。
独り住いだし、昼間は会社に行っていて留守だから家は小さい。
寝室と居間、それに台所と浴室に小さな廊下があるだけだった。
  持ち主は昔バールでキャッシャーをやっていた40歳位の女性で
独り暮らしだが、夏は北の方に友達と避暑に行くので、その間だけ
貸したいとのことだった。
 こっちが越していったらすぐに明け渡すということなので、早速夜中に
越していった。今はどうだか知らないが、その頃は昼間都市の中には
トラックが入れなかった。交通渋滞のもとになるからとのことで、
昼間乗り入れるには別に入市税を払わなければならない。
だから引越しは夜中。夜逃げみたいだった。
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by pincopallino2 | 2010-08-26 10:56
ユーゴスラヴィアの列車
 ウィーンからハンガリーのブタペスト迄まだ共産主義だった
ユーゴスラヴィアの列車に乗ったことがある。ベオグラード行きの
特急列車の一等だったが、三等車どころではなく、四等車位の
車輌だった。なんのサーヴィスもない。
 同じ頃、まだユーゴだったスロヴェニアにも行ったが景色は
良いのに人間は暗く、待遇もひどかったが、その後独立したら
これが同じ民族かと思う位に陽気になり、サーヴィスも一変した。
 共産主義を頭から悪いとは言えないのかもしれないが、
独裁的ではなく、一般大衆のことをもっと考えたら良いのにと
つくづく思ったものだ。
 
 
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by pincopallino2 | 2010-08-25 10:19
アメリカの列車
  アメリカの鉄道もかなりすさまじい。たしかニュウヨークの
G.セントラル駅でワシントン行きのアム トラックを待っている時、
北の方から来る列車なので遅れている。到着時刻もハッキリ
判らないようなアナウンスだったが、そのうち突然、遅れていた列車が
入ってくるが、到着番線が変わった。すぐ出るから駆けないと
間に合わないぞと言い出した。プラットフォームが違うので
皆慌てて移動し始めたら、何とその列車、元々の番線に入ってきた。
  僕はアメリカ人じゃないから言葉も習慣もよく分からないけれど、
日本では国鉄時代でもこんな良い加減な情報は流さなかったし、
案内の仕方ももっと丁寧だった。
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by pincopallino2 | 2010-08-24 11:14
イタリアの列車  続き 3
 日本の技術指導が良かったのかどうかは知らないが
イタリア国鉄(FS)も次第に定刻通りに運行するようになった。
但し遅れを取り戻すのは結構荒っぽい。
 ローマ、フィレンツェ間に高速用の線路が完成した頃、
フィレンツェから特急列車に乗ったらシャニムニ走って
ローマ、テルミニ駅に予定より30分以上早く着いてしまった。
ところが余り早いので、入線する番線にまだ他の列車が
停まっている。他の番線も全部塞がっていて入れない。
仕方がないので、20分位駅を目の前にして停まっていた。
 2,3年前の正月、家内と一緒に南イタリアのオストゥーニに
行った。ローマからの特急でバーリに行き、オストゥーニ行きに
乗り換える予定だったが、ローマからの列車が途中で
10分近く遅れた。乗り換え時間が短いので間に合わないと
覚悟していたら、バーリ到着は殆ど定刻。この時はバーリからの
列車が隣の番線で待っていてくれたので、重いスーツケースを
持ってプラットフォームを移動する手間が省けて助かった。
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by pincopallino2 | 2010-08-23 10:30
イタリアの列車  続き 2
 スマートな新型車輌を次々と発表する一方、イタリア国鉄の
列車の運行はかなり出鱈目で、時刻通りに走ることは殆どなかった。
 随分昔の話しだが、僕のイタリア語の恩師はボローニァ大学に
入学する為ローマから汽車に乗ったが、うっかりボローニァ到着
予定時刻に着いた駅で降りたら手前の小さな駅。夜遅いので
その日はボローニァに行く列車がなく、仕方なく山の中の無人駅
みたいな所に野宿したそうだ。
 日本とイタリアの国鉄が協定を結んで、日本はイタリアに列車の
運行方法を教え、代わりにイタリアから車輌のデザインを指導して
もらうことになったと大分前の新聞で読んだことがあるが、
そのせいかイタリア国鉄の列車は随分正確になった。デザインは
新幹線の車体などを見る限り、日本はイタリアを凌駕してしまった
のではなかろうか。
 その新幹線にアメリカの友人が来て乗った時、秒と違わずに発着
するのに感心していたが、どの列車も決まった位置にキチンと停車
するのにもたまげていた。
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by pincopallino2 | 2010-08-22 10:14