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フィアット 500   5.  最後の実習
  試験に合格した翌日、先生が最後の実習をやろうという。
連れて行かれたのはボルゲーゼ公園の始めてハンドルを握った所。
なんのことはない、僕の実習はボルゲーゼ公園で始まって
ボルゲーゼ公園で終わった。
  先生は例の小道に入ると暫く車を停めさせた。歩道には
時折人が歩いてくる。車の向きと同じ方向に歩いて来る若い女性が
居ると、先生は彼女と同じ歩調で走れと言い、自分は窓から
身を乗り出して彼女に乗れ、乗れと勧めている。でも勧めているのは
恋人になんか絶対にしたくないようなジイさんで、中を覗くと髪を振り乱した
東洋人が必死の形相でハンドルにしがみついているから、誰も乗らなかった。
中にはうるさがって反対側の歩道に移ってしまう女性も居るが、
そうなると大変。今度はスピードをあげて先回りをし、方向転換をやらされる。
迎え撃って口説くつもりだが、なにしろ車の長さと同じ位の道幅だから
何回もハンドルを切り返さなければならない。モタモタしていると女性は
ドンドン行ってしまう。こんなことの繰り返しを1時間半。おかげで
低速運転と細い道での方向転換は習熟した。
  この先生、雑談が大好きで、うちの家政婦は男も好きだが女も大好きだ
なんて運転とは関係のない話しが多かった。  
  その後暫くして車と衝突しそうになった時、相手の車の運転手を見たら
先生で、ブラーヴォと言われたことがある。何がブラ―ヴォなもんか。
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by pincopallino2 | 2010-09-30 15:59
フィアット 500     4. 運転試験
運転を習い始めて2ヶ月程経った頃、先生が試験を受けろと
言うので、受けてみた。
  まづ学科。試験官と一対一の口頭試問だ。傍に通訳という
形で先生が立っている。問題は一問だけ。
三叉路の絵を出してどれに優先権があるかと聞く。
  ヨーロッパでは道に優先権がついていて衝突事故を起こした場合、
その道を走っていた方が有利になる。優先権のある道路には真中が
黄色でその周りを黒い線で囲った四角いマークが交差点に立っている。
その反対はstopだ。
  でも問題にはそんな印が描いてないから分からない。ウンウン唸って
いたら時間ばかり経ってしまって、試験官が落第にしようとした。
傍に立っている先生が「今、答えようとしているんだ」と助け舟をだして
くれる。エイ、ままよと当てずっぽうに「この道」と指差したら、なんと正解で
学科試験は合格した。
  実地試験は別の日で、試験官が隣に坐り、やはり先生が通訳という
ことで後に乗った。もう一人、次の受験生も乗っていたかもしれない。
試験は坂道発進。公道で、1センチの隙間もないように停めてある
一般車の間から車を出しての坂道発進だから、たいへんだ。
頭の中が空白になってしまって落第。でも10日程経っての追試験には
見事及第。試験は前のよりやさしかった。
  やっと免許がもらえると有頂天になっていたら、合格した場合
校長先生と実地の先生には謝礼を出すものだと教えられた。
幾ら払ったのかは覚えていないが、事務員と一回も出なかった学科の
先生には渡さなかった。
  いずれにしろ、教習費は日本よりズッと安かった。
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by pincopallino2 | 2010-09-29 10:48
フィアット 500    3.
なにしろ実地運転の練習は路上だから何処でも走れる。
お陰でローマの地理を覚えるのに随分役立った。
 ある暑い日、先生が水を飲みに行こうと言う。
それならばとバールの前で停めようとしたら、湧き水を
飲みに行くのだということで、ローマの町外れ迄行った。
見ると岩の間から水がチョロチョロと出ている。まづ
先生が岩に口をつけて飲んでから、僕にも勧めるから
先生と同じようにして飲んだら、まさにミネラル ウォーターで、
生温かったが、かすかに炭酸の味がした。
 そのうち先生がせめて一回位は学科の講義にも出ろと言いだした。
毎日先生が車で送り迎えをしてくれてそのまま路上練習だし、
学校への入学手続きはイタリア人の同僚がやってくれたので
どこに学校があるのかも知らない。学科の講義は夜だとのことなので
場所を教わって行ったら裏通りの商店街の中。狭い間口の
部屋が一つあるだけで、若いのと中年の女性が居るだけ。
中年の女性が校長先生だった。外から丸見えの部屋の中では
20人ばかりの男女が椅子に坐って男の先生の講義を聴いていたが、
満員で坐る椅子もないので帰ってきてしまった。以来学校には
行かず、講義は一回も聴いていない。  
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by pincopallino2 | 2010-09-28 10:44
フィアット 500    2.
今日からはフィアット500の話し。
といっても僕は車の運転免許証を持っていない。
仕方がないのでローマで取ることにしたが
赴任したばかりなので、どうしたら良いかわからない。
会社のイタリア人が自動車学校に申し込んでくれて、
明日午後2時に先生が車で迎えに来るから会社の前で
待っていろという。
 翌日、待っていると、おじいさんの先生が車でやってきた。
まづ連れていかれたのが、近くのボルゲーゼ公園。
 車を停めると、これがハンドル、これがアクセル、これが
ブレーキ、これがギアーと教えてくれてサア運転してみろと言う。
日本のように練習場がないのでイキナリ路上運転だ。
オッカナビックリ運転席に坐ったが、平日の午後2時は
まだ昼休みの時間で走っている車も少ないから
いつの間にか70キロで走っていて、先生から「いくら
なんでも始めてハンドルを握って10分しかたたないうちに
70キロは早すぎるよ」と言われた。
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by pincopallino2 | 2010-09-27 10:37
フィアット 500 1
 イタリアからのブログにフィアット500の写真が出ていた。
それも今では滅多に見かけない、ドアが前開きの一番古い
形のがズラリと並んでいる。50年ほど前、イタリアで最初に
乗っていた車だ。あまりにも懐かしくなったので明日から
書くことにした。思い出が沢山あるので結構長い続きものに
なりそうだ。
 実はこの話し、長野市内にある喫茶店の名前55(中央通りと
昭和通りの交差店にあるビルの奥の小さな店だが、150円の
エスプレッソがイタリアで飲むのと同じ位にうまい)に因んで
書くように頼まれたのだが、時間がなくて始めの部分だけで
尻切れトンボになってしまっている。
 途中で他の話しも入るだろうけれど、読んで古き良き時代の
ローマを偲んでいただければ有難い。
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by pincopallino2 | 2010-09-26 11:18
ローザンヌ
 昨晩、テレヴィでスイスのローザンヌの町を紹介していた。
ローザンヌには昔3.4回行ったことがあるが、当時はたしか
世界一短い地下鉄が走っていた。豪華ホテルに泊まったら
王政が崩壊する頃のイランから逃げ出してきた王族の一家が
長期滞在していて、どのくらい金を持っているのだろうと
羨ましく思ったことがある。別の時には兵役から戻ってきた
若者達が二、三人、持っていた小銃を広場の床に叩きつけて
いるのを見たが、戦争中、銃は天皇陛下からの借り物だと
教えられていた我々には信じられない光景だった。
(スイスは平和国家と称しながら国民皆兵で、男達は
定期的に軍事訓練を受け、銃は家に置いておくのだそうだ。
軍需産業も盛んで、武器、弾薬を輸出して稼いでいるのだと
聞いたこともある)。
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by pincopallino2 | 2010-09-25 11:06
パスクィーノ
  パスクィーノについてのコメントをいただいて嬉しかった。
パスクィーノはもともとヘレニズム時代のギリシァ彫刻の
かけらみたいな物で、雨が降ってぬかるみになる道の
飛び石として使われていたのを掘り起こして立てたのが
皮肉屋のパスクィーノの家の横だったので、その名をとって
パスクィーノとなずけられ、何時の間にか落首みたいのが
貼られるようになったが、昔も禁止行為だったようで、
夜こっそり貼りに来たそうだ。
  実はローマにはこんな落首板が昔から方々にあったようで、
「物言う像」と言われ、今だに幾つか残っている。
  男性ばかりでなく、女性のもあってルクレツィアの像が
そうだそうだ。
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by pincopallino2 | 2010-09-24 16:59
お彼岸
 今日は秋のお彼岸の中日だ。死者が全部極楽浄土に行ける日だと
聞いたことがあるが、最初から極楽に居る魂はどうするんだろうと
それじゃあ普段極楽には誰もいないのかなと子供心に考えたことがある。
 カトリックにも同じような風習があって、イタリアでは10月1日の
諸聖人の日のあくる日の2日は死者の日として、家族揃って墓参りをし、
お弁当を持っていって墓前で先祖達と一緒に食べるのだそうだ。
沖縄に似た風習だが、田舎の余程大きな墓地でない限りそんなことは
出来ないだろうし、見たこともない。
 いずれにしろ、この日のお墓は混み合うが、すごかったのは
クロアチア。首府のザグレヴでは遥か彼方から警官が立ち並んで
交通整理にあたり、車の交通は一切遮断。その代わりこの日だけの
臨時バスが墓地までヒッキリなしに出ていたが、どのバスも墓参客で
超満員だった。
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by pincopallino2 | 2010-09-23 11:05
長男の間引き
 昨日書いた長男を殺す風習は何もフェニキア(今のレバノンあたり)だけの
風習ではなく、ユダヤあたりでも行われていたのではないだろうか。
 私見だが、バイブルに出てくる東方の三博士だか三賢人は生まれたばかりの
キリストに会ったのではない。噂を聴いてエルサレムをたづねて来た彼等は
始めての土地だし、どこで男の子が生まれたのかも分からない。
そこで当時の王ヘロデの所に情報を聞きに行って教えてもらい
イエズスを探しあてた。当時の暦だから今と違っている筈だが、
カトリックでは公現祭(イエズスが初めて他人に会った日)を1月6日にしている
から12月25日から約10日経っていて、話しの辻褄が合う。
それにキリストは親に連れられて逃げ出している。
 でも何故長男を殺したのか、浅学非才の僕には分からない。
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by pincopallino2 | 2010-09-22 10:25
カルタゴの可愛い神様 タニット
 古代のカルタゴにはタニットという神様が居た。
まづ丸を描きその下に逆三角形をつけただけのもの。
丸と三角の間から腕が左右に延びていて、中には
縄跳びの縄を廻しているようなのも残っている。
見かけは可愛らしい女の子だが、結構恐ろしい神様
だったという説もある。
 タニットは元来カルタゴ人の祖国フェニキアの神様で、
その頃のフェニキアでは生まれたばかりの長男を殺して
しまう風習があったそうだ。フェニキアが北アフリカに
たてた国カルタゴにもその風習は伝わり、殺された
幼児の墓が沢山並んでいるところがあって、鬼気迫る
思いがする。タニットはその幼児殺害と何か関係のある
神様らしい。 もっともカルタゴの人は幼児殺害を否定し、
最新の研究では病気で死んだ幼児達の守り神だったと
いうことがわかったなどという。
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by pincopallino2 | 2010-09-21 11:02