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僕とイタリア 34 オペラ その1
 Teatro d'Opera か Teatro Liricoか正式名称は知らないが、
その昔、ルネッサンスの頃にフィレンツェの誰かの家に集まっていた
青年達の間から出たギリシァ劇に節を付けたらどんなだろうと言う話しから
始まったと聞いたことがある。ギリシァ劇の科白には言葉の
性格のせいかある程度節があるのに、それ以上誇張してやって
みたら大成功というのが始まりらしい。オペラの火はまづ
ヴェネツィアに飛び火して一時は劇場が72あった。
(今は僕の知る限り2軒しかない)。次でナポリ。カストラートと言う、
去勢して子供のような声を保たせる役者はナポリ時代の産物だそうだ。
 あんな長い芝居の歌や科白を幾つも覚えられないだろうと
日本人のオペラ歌手に聞いたら、歌舞伎と同じで節が付いているから
かえって覚えやすいとのことだった。
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by pincopallino2 | 2011-02-28 08:41 | Comments(0)
僕とイタリア 33 カンツォーネ その5
日本で一番知られているのはナポリの歌かもしれない。
でもナポリの人に聞いたら「帰れソレントへ」はソレントの
歌だし、「スカリナテッラ」は階段ばかりのポジターノの
歌。フニクリ フニクラに至ってはヴェスヴイオ火山に
ケーブルカーが出来た時のコマーシャル ソングだそうだ。
 そんなナポリの歌を13世紀頃のものから収集している人がいる。
ムローロ(名前は今突然ド忘れしてしまった。たしかロベルト
だったと思う)レコード、テープに沢山吹き込んでいるから
割合容易に買えると思う。ギターの弾き歌いで原曲に忠実だから、
舞台で歌うような派手さはないが、それだけにしみじみと聴ける。
 ところで僕の好きなナポリの歌は「赤いお月様」。
シャンソンにもなってティーノ ロッシがよく歌っていたが、
今はナポリでも知っている人は少ない。
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by pincopallino2 | 2011-02-27 08:41 | Comments(0)
僕とイタリア 32  カンツォーネ  その4
  当時チェトラという音楽会社があって専属のクアルテット チェトラが
素晴らしかった。男性3人、女性1人の構成で、歌もしゃれていたが、
その歌に合わせて寸劇もやる、門外不出だそうで、日本に行かないかと
言ったらアッサリ断わられた。
  ナポリにも面白いクアルテットだかクインテットがあった。レナート
カロソーネとその楽団というのだが、これもコミックな物が多かった。
終戦直後、職がないので、進駐軍の慰問をやろうということになったのだ
そうだ。ナポリ語だったが好きな歌が沢山で、今でも時々思いだしている。
殊にジェジェという男の歌が懐かしい。
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by pincopallino2 | 2011-02-26 10:36 | Comments(0)
僕とイタリア 31  カンツォーネ その3
  カンツォーネは地方、町ごとによってニュアンスが違う。
ヴェネツィアでゴンドラに乗った日本人の観光客が
ナポリのオー ソレ ミオだのサンタ ルチアだのを船頭に
歌わせて、これこそイタリアだと喜んだり、感激したりして
いるが、秋田で九州の方のおてもやんや黒田節を歌えと
いうようなものだから、ヴェネツィアの人間にとってはサゾ
嫌だろう。一時ヴェネツィアでは客の注文とはいえ、
ナポリの歌を歌うなことはやめるようにとのお触れがでたが、
いつの間にか有耶無耶になってしまった。客が知らないから
仕様がないのだろうが、ヴェネツィアにも「ヴェネツィアと
月と君」とか「ヴェネツィアは変わらない」といった素晴らしく
綺麗な歌が沢山ある。ただちょっと寂しいものが多いのは
土地柄のせいだろうか。
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by pincopallino2 | 2011-02-25 10:30 | Comments(0)
僕とイタリア 30  カンツォーネ その2
 その頃の男性歌手ではクラウディオ ヴィッラが一番人気ではなかったろうか。
僕がイタリアで店員に進められて最初に買ったのも彼のレコードだった。
 ローマの川向こうと言われる庶民的な地区の靴直しの息子だそうだが
如何にもローマっ子らしく、甘い歌が多かったが、国営テレヴィに自分の
コマーシャルを出して悪口も言われていた。日本にも何回か公演にきた
ことがある。その後彼と知り合うようになったが、ある年のたしか12月29日の夜、
横浜で彼の家族達と一緒に会った時明日イタリアに帰ると言っていたが
帰って二日目の1月1日、病気で入院していた親友のドメニコ モドゥーニョ
を見舞いに行こうと、好きなオートバイに乗った途端、倒れて自分も入院して
しまった。奥さんからの知らせで東京から駆けつけた妹が病室に入って言った時
「誰だかあててご覧」と奥さんが目隠しをしていた手をはずした時、妹の顔を見て
何も言わずに涙を流したそうだ。
 この時代には素晴らしい歌手が輩出し、良い歌も沢山あったが、僕が好きだったのは
レナート ラーシェルの「ローマのそよ風」。今では歌声レストランの歌手達も
知らない。
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by pincopallino2 | 2011-02-24 10:25 | Comments(0)
僕とイタリア 29 カンツォーネ その1
  カンツォーネはフランス語のシャンソンと同じだから「歌」という意味だが
僕がイタリアに行った頃は綺麗で穏やかな歌詞の歌が多かった。
戦後新しく出てきたウルラトーレ(叫ぶような歌い方をする歌手という意味か)と
呼ばれる連中の歌は東京でもイタリア大使館の人にレコードを取り寄せて
らって聞いていた。雌豹、雌虎と並び称されたミーナとミルバもウルラトーレと
して活躍していたが、ある音楽会社の洋楽部に勤めていた友達が新しい
イタリアの流行歌がないだろうかときくので、ミーナのレコードを貸したら
それから暫くしてピーナッツという双子の女性歌手がテレヴィで「月影のナポリ」と
いう題で歌っているので驚いたことがある。原題は日焼けならぬ月焼けだ。
ミーナは今でもアルバムを出していると思うが、ミーナはその後ドイツの詩人の
作品を作曲して歌ってばかりいたので、イタリアでは人気がなくなってしまった。
日本が大好きでお忍びでもよくきていた。日本食も味噌汁や納豆も食べるが、
帰る時は沢庵漬けを匂いがしないように密封して持っていく。
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by pincopallino2 | 2011-02-23 10:44 | Comments(1)
僕とイタリア  28 映画
 イタリア映画は日本に居る頃から翻訳していたが、当時は
イタリアン レアリズムの真っ最中だった。世相を反映して
暗いものが多かったが、僕が好きだったのは「雲の中の散歩」。
あまりにも昔のことだし、僕が訳したものでないので、内容も
監督も俳優も覚えていないが、冒頭が小さな村の広場。
時刻になったので郊外バスが出発するが、広場のまわりを
グルグル回っているだけ。そのうち一軒の家の窓が開いて
女の人が「生まれたよ」と叫び、乗客も運転手と一緒に喜ぶ。
運転手の子供が生まれそうなので出発はしたけれど、
走っていけなかったのだが、なんとなくホノボノしたシーンで
いまだに心に残っている。
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by pincopallino2 | 2011-02-22 10:33 | Comments(0)
僕とイタリア 27
  イタリアの不良について書いてきたが、彼等は
日本の不良のようにトゲトゲしくなく、注意でもすれば
刺されてしまうような怖さもなかった。
  ある夏、ローマ近くの砂浜で甲羅干しをしていた時のこと。
女の人の金切り声がするので行ってみたら、
海水浴客に昼食や飲物を売っている浜辺の店の前で
不良っぽい若い男達が4,5人野次馬連中に囲まれて
立っている。怒鳴っているのは中年のおばさんで、
買いものをしようと並んでいる列の間にわりこんだのだそうだ。
 まわりの野次馬達も「悪そうな奴等だ」とか「しつけがなって
いない」とか口々に言うが不良達はそれに対して一言も
口答えできない。しまいにはコソコソ逃げ出した。
  日本人は注意すべきことにも黙っているが、
みんなで言わなければ不良達は図に乗るばかりだ。
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by pincopallino2 | 2011-02-21 10:48 | Comments(0)
ベンガジ  砂嵐し
 夜遅く着いた所は東洋加熱という日本の会社が原油の貯蔵タンクを造っている
事現場。一晩泊めてもらって翌日ベンガジに行く車に便乗して帰ると予定を立て、
仕事も終えたが、砂漠の夜は寒かった。0度位になって、電気毛布にくるまって
寝た。翌朝身支度を整えて挨拶に行ったら、「アー、昨夜言い忘れちゃったけど
靴は履く前に振るんだヨ。夜中に蠍が入っていることがあるからね」と聞かされて
ビックリ。それにしても砂漠の朝は素晴らしい。空気が澄み切って、日が昇った
ばかりだから温度も低く、爽やかそのものだった。そのうちそよ風が吹いてきて、
周囲が砂埃で黄色くなってきたが、真上の空はまだ真っ青。でも間もなく風が強く
なって埃が舞い、部屋の天井から吊るしてある電灯がぼんやりと見えるように
なってきた。「この嵐、数日続くこともあっていつ収まるかわからない。今なら
まだ大丈夫そうだからすぐ発つなら車を出してやる」とのご親切な言葉に甘えて
早速ベンガジに帰ることにした。車は現地人の運転するフォルクスワーゲン。
ノロノロ、ヨレヨレ走っているうちにエンジンが止まってしまった。おもてに出て
直している運転手の黒い頭が一瞬のうちに砂で真っ白になったのを見て、もはや
砂漠の中での遭難かと真っ青。思わず神仏に祈ったが、頭に浮かんだのは神様でも
仏様でも、キリストでもなく、見ず知らずのアラーの神様だったのには驚いた。
神様にも持ち場があるのだろうか。 往きの倍以上の時間をかけてベンガジに到着。
どうやら着いたことを先方に知らせる無線電話も砂嵐の為か雑音で聞こえない。
ベンガジの町でも砂嵐は吹き荒れていて、女の人は皆ヴェールをしている。
ヴェールは元来砂埃りよけの為かもしれない。電線がピューピュー鳴っていたが
寒い木枯らしになれた耳には熱風では味気なかった。
 翌日幸いにも飛んだアリタリアでローマに帰る途中,地中海の上で黄色い入道雲に
出会った。強風で巻き上げられた砂嵐の砂が地中海を渡っているのだ。
ローマに帰ってホッとしていたら、間もなく生暖くて湿気を含んだシロッコがやって
きて、シロッコはリビア砂漠の砂嵐がイタリアに来る途中、地中海の湿気を含んだ
ものであることを身をもって体験した。
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by pincopallino2 | 2011-02-20 10:33 | Comments(4)
ベンガジ 続きの続き
 ベンガジから海岸線を200キロばかり西に行ったたしかアジェダヴィアと
いう所に行った。迎えに来てくれた車に乗ってベンガジを出発したのは夕暮れ時。
見事な夕焼けを背景に郊外の小さなモスクが5,6本の椰子の木に囲まれて
浮かび上がっていた。駱駝も何匹か繋がれていたから夕べの祈りに人が
集まっているのだろう。家なんか一軒もないような所なのに駱駝に乗ってモスクに
向かっている人の姿がシルエットのように浮かびあがって素晴らしい景色だった。
浮かび上がって見える。家なんか一軒もないような
 日が暮れると道のあちこちに火が見える。トラックが停まって食事の用意をして
いるのだ。リビアではトラックの夜間走行が禁じられているのだそうだ。車が何台も
通っているうちに踏み固められた道で舗装もしてないから夜の運転は危険が
多いのだろう。
 夜の砂漠は満天の星で美しい。時々車の前を青白い光が横切る。砂漠には
色々な虫がいて、その虫を食べる蠍がいる。蛇もいて蠍を食べているが、その蠍を
狐が食べるのだそうだ。狐は車の音が聞こえ出すと不安にナリ、直前を横切りたい
衝動に駆られる。その際何故だか分からないが、必ず自動車の方を見るから
目玉がヘッドライトに反射して青白く光るのだそうだ。リビア高原には身体が真っ黒な
毛に覆われて口の中が真っ赤な狼みたいなワッダンという獣がいるということだが、
暗闇の中で時折青白い光が車の前に浮かび上がるのはあまり気持ちの良いもの
ではなかった。
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by pincopallino2 | 2011-02-19 18:29 | Comments(0)