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北 杜夫
 北 杜夫が死んだ。本名 斉藤宗吉。中学時代の同級生で、
校庭で蟻を探し、珍しい品種を見つけては喜んでいた。
旧制の松本高校(今の信州大學)に進学したのも、そんな
生物が沢山いるからだそうだ。 それほど親しい仲ではなかったが、
ある時僕に向かってお前はダモウだと言ったことがある。
獰猛(ドウモウ)よりもっと凄いのが「ネイモウ」で、その上が「ダモウ」
なのだそうだ。僕はおとなしい生徒だったし、漢字を聞いても
知らなかったから、誰かから聞いて言ってみたかったのかもしれない。

 ところで、僕は明日から北イタリアに行く。帰ってくるのは11月の
7日の予定だから、その間ブログは休む。
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by pincopallino2 | 2011-10-27 11:04
北イタリア旅行 3
 三日目はリッリアネスへ。人口500にも満たない寒村だが
栗祭りをやっている。栗祭りはフェニスでもやっているようなので
うまくすると両方見られるかもしれない。昼食はリッリアネスの
レストランで栗料理。栗のミネストローネや栗のケーキを用意
してくれている筈だ。リッリアネスの近くに巡礼地として名高い
オローパがあって、広大な土地に伽藍が立並んでいるが、
リッリアネスからは山一つ越えねばならず、しかも道がないので
大回りをしなければならないから、今回は割愛。その代わり
近くのバールの要塞を見に行くつもりだ。ナポレオンが攻めて来た時
大活躍をした砦が山の中腹に聳えている。バールの要塞からホテルに
行く途中にシリオという小さな湖がある。小さいけれど美しい湖だ。
 シリオ湖から今夜のホテルがあるロマーノ カナヴェーゼまでは
15キロくらい。グラン パラディーゾ アルプスの麓近くに
あるカナヴェーゼは風光明媚な地方であるが、日本人はあまり
行かない。宿泊は村にある元貴族の館。村の雰囲気もしっとりと
してアルプスが眺められるのでホテルにはなるべく早く着き
あくる朝もゆっくりと村の散歩を楽しみたい。
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by pincopallino2 | 2011-10-26 11:40
北イタリア旅行 2.
  二日目の昼食はクールマイユールのレストランで。
この店、ラードと栗を載せたフォカッチャがあるので、
幾つか焼いてもらうことにした。イタリアではラード
(牛の脂)を食べる習慣があり、一流食料品店でも
売っている。
  食後はフェニス。ピエモンテ州で一番美しいとも
言われる山城がある。この城はトリノのポ川に沿った
ヴァレンティーノ公園の中の中世村のモデルにもなっている。
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by pincopallino2 | 2011-10-25 16:22
北イタリア旅行 1.
 今週の金曜日、10月28日から旅に出る。
北イアリアを西から東に横断して11日間の予定だ。
まづは東京からアオスタへ。トリノの空港からバスで
坂道を登っていくが、アルプスのふもとなので途中から
山の様子が変っていく。ホテルは町の中心から僅かに
離れているが山小屋風の入口で料理がうまい。
何より朝食堂からの山の景色が素晴らしい。
 二日目はアオスタの町の観光から。アルプスの山々を
拝啓にしてローマ時代の遺跡が並んでいる。
 山の中なので木彫り細工がこの町の名産。
飲み口が幾つもついている木製の土瓶みたいのがあって、
中にエスプレッソと強いお酒を入れ、皆ですいあう風習も
楽しい。
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by pincopallino2 | 2011-10-24 19:34
子供を殴る親
  イタリア人の夫婦。四つか五つ位の可愛い男の子が居た。
可愛いけれどこの子、悪戯ばかりして、そのたびに両親から
拳固でポカポカなぐられたり、平手で引っ叩かれたりしていた。
しまいには頭が瘤だらけで変形してしまうのではないかと
思われるくらいだったが、それでいて親はその子を溺愛していた。
  イタリア人の子育てにも色々な方法があるものだと変な風に
感心して見ていたものだったが、今はその子、立派に成人して
イタリア空軍に勤めている。
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by pincopallino2 | 2011-10-23 11:20
テンポラーレ
 20日の朝だかに猛烈な風雨と雷がローマを襲ったようだ。
日本に居ては詳しい状況が分らないが、多分テンポラーレ
だと思う。夕立の親分みたいな強烈なやつで、道路なんか
見る間に川のようになって渡れなくなり、そのうち自動車も
走れなくなる。雷はものすごいのが鳴ってこの世の終わり
みたいな感じ。大体2,3時間で終わるが、場合によっては
半日位続く。僕もこのテンポラーレにはローマで何回か
遭ったし、一回はグループと日本に帰ろうとした矢先に
テンポラーレが来てホテルを出られなくなったことがある。
幸い飛行機も遅れたので、辛うじて乗れたが、夕立だから
局地的で、他の地方では晴れ渡っていたりする。
 テンポラーレはイタリアだけでなく他の国にもあるようで、
フランスのラング・ドシエンヌというパリから南フランスに行く
高速道路上でやられたことがある。その時は乗っているバスの
すぐ近くに落雷して、まわりの野原が一瞬ピンク色になった。
 テンポラーレが来て、ローマも冬型の気候に変わるのだろう。  
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by pincopallino2 | 2011-10-22 09:59
リビアの カダフィ大佐
  今朝のニュースでリビアのカダフィ大佐が殺されたと報道があった。
アメリカ側の報道ばかりで真相はよくわからないが、王政の頃、ローマ
から二度ばかり尋ねたことのあるリビアにとっては気の毒だと思う。
  多分アメリカはサハラ砂漠から出る石油が欲しいのだろう。
カダフィはそれを守ろうとして革命を起こし、それなりに国を立て直した。
だからアメリカはカダフィ嫌い。かって艦隊をリビアに侵攻させようと
したことがあるが、その時はイタリア海軍がゆくてに立ちはだかって
事なきを得た。イタリアにとってリビアは古代ローマ時代の領土だったし、
近くは植民地だったからかもしれないが、石油も欲かったのだろう。
  何れにしろアメリカは横暴だ。イラクも国際視察団が調べて重要な
武器はないと判断してから、大軍をに送りこんで石油をものにし、
今はイランの石油も狙っている。世界中の石油がなくなってから、
自国でとれる石油に手をつけるつもりだろう。
  ニューヨークのテロだって一歩的にアラブが悪いように言っているが、
あんなひどい報復をやらざるを得ないほどアラブ側を痛みつけていたに
違いない。
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by pincopallino2 | 2011-10-21 10:35
グラニータ ディ カフェ
  昨日、モンテ ローザなんてどちらかといえば夏の飲物の話をしたついでに
今日はイタリアのアイスコーヒーの思い出を書く。
  イタリアではエスプレッソを冷たくした普通のコーヒーもあるが、
グラニータというと、シャーベット状のコーヒーが出てくる。
  ローマのポポロ広場には喫茶店やレストランが何軒もあるが、
そのうちの一軒のグラニータは他の店のとは違ってエスプレッソで作った
米粒より大きめの氷に冷やしたエスプレッソをそそぐ。
氷が溶けてもエスプレッソだから薄まることがない。
夏の夜など、ピンチョの丘に行く坂に面した店の裏のテ-ブル一つしか置けない
ような狭い空き地で、グラニータを飲みながら四方山話しにふけっていると
傍の木に這い上がったヤモリだかイモリだかがチチと鳴いて情緒満点だった。
この店、今は改装されて風情がなくなった。
 なお、グラニータはシャーベット状のものをいうので、メロンやオレンジ等の
ものもある。
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by pincopallino2 | 2011-10-20 12:15
モンテローザ
  50才も半ばに達した息子が懐かしがるのはモンテローザ。
ミルクシェイクの一種で牛乳にジェラートと氷を少々。それに
アマレーナの実を混ぜて攪拌するとピンク色になるので、
アルプスの名峰の名をつけたらしい。この飲物、一時大流行で
どこの喫茶店(バール)でも飲めたが、今はバーマンでも知って
いる者が少なくなった。簡単なので家でも作ってみたが、
アイスクリームを入れたら見事に失敗。ジェラートを入れないと
できない。
  僕自身もナヴォーナ広場の狭い路地を入った所にある
小さなバールで飲んだモンテローザの味が忘れられない。
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by pincopallino2 | 2011-10-19 10:59
ローマのカレーライス
  昔はローマの食べ物で辛いものと言ったらアッラビアータ位しかなく、
レストランに行っても今みたいに辛い調味料ガテーブル二おいてあるなんて
ことは皆無だった。
  一人住まいの頃だからたまには日本の味を偲びたいと思っても、第一
日本料理がなかった。せめてカレーライス位はと探したが、見付からない。
やっとヴェネツィア広場近くのオーストリア料理屋のメニューにあるのを発見。
早速たべてみたが僕がなじんでいたようには辛くなかった。
  それでも懐かしくて月に2、3回通ったが、行くたびに辛かったり、辛く
なかったりっと味が違い、ない時もあった。
  当時のローマではカレーライスなんか食べる人が居なかったのだろう。
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by pincopallino2 | 2011-10-17 21:58