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エスプレッソ
 最近は日本でもエスプレッソばやりだが、だいたいが値段が高い上に
本場イタリアの味と違う。バールなどで入れているエスプレッソは
厳選したコーヒー豆を深煎りして2,3日ねかすと油がにじみ出てくる。
それをこまかく挽いて、蒸気を通すと粉の間を通っているうちに温度が
若干下がって水に戻りコーヒーのエッセンスを充分に取りこんでくる。 
蒸気だからどんな水でも良いように思われるが、エスプレッソは
水に左右されるようだ。
 但し粉は輸入品で、各業者がそれぞれの比率で混ぜる。
 イタリアではヴェスヴィオ火山からの湧き水を使うのでナポリの
エスプレッソが一番うまいと言われるが、僕自身としてはエトナ火山の
湧き水でいれるシチリアのタオルミーナが最高だと思っている。
 日本で美味しかったのは飯綱山の水を使っている長野市の
中央通りと昭和通りの交差点にある 55(チンクァンタ チンクエ)と
いう小さな喫茶店。立ち飲みなら150円と値段も安い。
トィーゴというビルの1階の一番奥にある。
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by pincopallino2 | 2011-12-10 15:10
訂正
  昨日、12月8日はマリアさんがキリストを懐妊した日だと書いたら、
投書をしてくださった方がいて、マリアさん自身がお母さんのアンナの
お腹に宿った日なんだそうだ。
  日本のカトリック教徒に聞いたことだし、イタリア人も同じことを
云いったjからそう思い込んでいたが、今でもマリアがキリストを受胎
した日だと理解している人が沢山いるのだろう。
 前にもこのことに触れて、12月8日に妊娠して翌年の12月24日だか
25日に生まれたならキリストはマリアのお腹の中に380日以上居た
ことになると書いたら、キチンと説明してくれた方が居た。
 ちなみに僕は仏教徒でキリスト教信者ではない。
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by pincopallino2 | 2011-12-09 12:37
無原罪のお宿り
 キリスト教でもカトリックだけのお祭りらしいが、
12月8日は無原罪のお宿りといって、マリアさんが
キリストを身ごもった日で、ローマ教皇がスペイン広場に
ある処女懐胎の柱にお参りする。花束を捧げるのだが
柱が高くて届かない。梯子車に乗った消防手が途中で
受け取って天辺にいる仲間にわたすのだそうだ。
 男とまじあわずに妊娠するなんて信じられない話だが
そこは神様の神通力でどうにかなったのだろう。
 何れにしろ、カトリック圏内では祭日で休む会社もある。

 ナヴォーナ広場の歳の市も確か今日からで、ローマにも
年末の慌ただしさが押し寄せてくる。 

 日本では太平洋戦争が始まった日だ。
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by pincopallino2 | 2011-12-08 14:52
聖アンブロージオ
 12月7日、たしかミラノの守護聖人アンブロージオの祝日だと思う。
聖アンブロージオは今から1800年位前の人。始めは宮ニ仕える官吏
だったが、その後市民達におされて司教になったそうだから余程人望が
あったのだろう。彼が葬むられて居るサンタンブロージオ聖堂は
もともと自分が他の聖人の為に建てた教会で、後年何回か修復されて
いるが、初期ロマネスク教会の面影を残しているので、建築、美術等に
興味のある人には必見の場所だ。
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by pincopallino2 | 2011-12-07 13:34
思い出のイタリア人  アントニオ ファザネッラ
  駐日イタリア大使館付き空軍武官の補佐だった。
僕は彼から肉体労働者ガ使うようなイタリア語を教わった。
ある意味では生きたイタリア語を教えてくれた人だった。
  南イタリアの漁村ポリニァーノ ア マーレの出身で
その村にある海に向かってあいた洞窟の中のレストランの
ことを教えてくれた。60年位の前のことだが、以来
そのレストランニ行くことを夢見ていた。
  彼の家でよく食べさせてもらったバーリ風のフォカッチャの
味はいまだに忘れられない。
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by pincopallino2 | 2011-12-06 14:26
思い出のイタリア人  ケルビーニ先生
  ローマの医者でモンテマリオの奥に大きな病院を経営していた。
戦前、家内の実家の誰かが病気になった時、日本人の身体って
イタリア人と違っているところがあるのだろうかと診てもらったのが
付き合いの始め。サンタンジェロの隣の豪壮なマンションに住んで
いた。ソリアーノという所に別荘を持っていて、庭に小さな小さな
個人用の教会が立っていた。日曜日に神父がミサを上げに来ると
彼が助祭に早変わり。大きな身体を丸めて鐘を叩いていた。
大きな身体のくせに小さな物を集めるのが好きで、手の中に入る
位のテレヴィを探してくれと頼まれたことがある。
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by pincopallino2 | 2011-12-05 11:51
懐かしのイタリア人 レオ マニーノ教授
  女房の親父の親友で、戦後引き揚げ船で日本に帰る時はナポリ迄 
見送りに来てくれたそうだ。
  イタリアを統一したサヴォイ王家の、日本で言えば幕臣の家柄で
ローマの高級住宅地パリオリの大きな家にお母さんと妹と一緒に住んでいたが
育ったのはミラノで、ミラノ弁を話し、死ぬまでミラノが好きだったようだ
  ローマ大學を卒業して外交官になり、ポルトガルに赴任したが、その後
文部省の役人に転じ、ローマ大學の政治学の教授も兼ねていた。
戦争中はファsシストの党員でムッソリーニの側近の一人でもあったらしい。
地中海文明といった雑誌をだしていたが、どういうわけか、日本文化にも興味を
持っていて源氏物語だかの論文を書いている。
  彼にはイタリア人しか知らないようなレストランに随分連れていってもらったものだ。、
彼は同性愛者でも有名だったが、ローマ大學に留学して彼の弟子になった日本人、
和服、下駄履きで、腰に木刀を差してローマ中を闊歩していた。
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by pincopallino2 | 2011-12-04 09:49
暗い日曜日
 12月3日、関東地方の海岸地帯は雨が降って寒い。
たしかピエル マリア ロッソ ディ サン セコンドとか云った
イタリアの作家が書いた戯曲に暗い日曜日というのがあった。
今日みたいに雨が降って陰鬱な12月のある日曜日の郵便局。
人影もまばらだ。一人の女性が暗い影のある男と口をきく。
その後で男が自殺したことを知って、女性はもっと色々と
話しをすれば救えたのにと涙を流すという単純な筋だが
なんとなく心に残って-、冬の雨が降る日にはおく思い出す。
この作品、昭和の初期頃に日本語にも訳されている。
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by pincopallino2 | 2011-12-03 12:30
イタリア人とギリシア人
 一口にイタリア人と言っても、長い歴史の間には色々な民族が混じっている。
シチリア島の東海岸には昔、ギリシアの諸都市が築いた町が沢山あって
今でも住民の中にはギリシア系の苗字を名乗ったり、風貌もギリシア系の者が
多く、彼等殊に男達はそれを自慢して「俺は上半身がギリシア人だが下半身は
イタリア人だ」と威張ったりしている。頭は良いが女好きだという意味だろうか。
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by pincopallino2 | 2011-12-02 10:35
ペストゥム
  ペストゥムはナポリから約100キロ南にある町。
 長靴の形をしたイタリア半島の土踏まず付近に昔ギリシアのコリント人が移民してきて
シーバリという都市国家を造ったが、本国のコリントと同じく贅沢三昧な生活をしていたので
近くの同じくギリシァ系のドーリア人が造った質実剛健な町に滅ぼされてしまった。
 シーバリ滅亡の前、一部の住民は町から離れ、北上して海の神ポセイドンの名前を
とってポセイドニアという町を造った。紀元前600年頃のことだが、紀元前400年頃
ポセイドニアは近隣のルカニアに攻められ。その後マラリアが蔓延して消滅してしまった。
 遺跡が発見されたのは紀元1750年、道路の敷設工事をしていると時だった。
近くのポンペイより遥かに古い遺跡だが土に埋もれていた為、保存状態の良さは世界一と
言われている(二番目はアテネのアクロポリスの神殿、三番目はシチリアのアグリジェントに
あるコンコルディアの神殿だそうだ)。
 遺跡は今は整備されて柵がめぐらされているが、昔は誰でも自由に入ることができ、
秋の夕暮れ時の散策など、なんともいえない雰囲気だった。遺跡には現代のものとは違った
ギリシア時代のプールなどもほぼ完全に残っていて興味深い。
 ペストゥムは水牛の乳で作るモッツァレッラ チーズの産地でもあり、夏は海水浴場に 
沢山の人が集まる。アグローポリやパリヌーロ等の観光地も近い。
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by pincopallino2 | 2011-12-01 12:27