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常春の地
  僕は神奈川県の海岸地帯に住んでいるが、今年の冬は特に寒い。
子供の頃育った東京では、昼間でも干した手ぬぐいが凍ったから
もっと寒かったのだろうが、寒気身に沁みるようになったのは歳をとった
せいかもしれない。
  暖かい所に越したくなるが、今度は夏の暑さが気になる。
  イタリア、リヴィエーラ海岸の西端、ニース迄40キロしかないフランスとの
国境の町ヴェンティミリアは丘の上に旧市街があるが、その下のトンネルを
くぐって海岸に出ると急に暖かくなる。行ったのは強い風が吹いて寒い
2月だったが、温度はそこだけ20度。風も吹いていない。夏冬通じて同じ気候
同じ温度だと食事をしたレストランの親爺から聞いた。紺碧のリグリア海が
目の前に拡がって天国みたいな感じだった。
  同じ様に何時でも20度位の温度の所はメキシコにもあった。首都の
メキシコ シティからアカプルコに抜ける道の途中の町。その昔天正使節団だかの
日本人も通ったことがあるあるそうで、教会にタイコウサマと書いてある。
使節団が残した日本人の子孫も沢山居る。
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by pincopallino2 | 2012-01-31 13:42
ヴェネツィアのオペラ劇場 2、
  マーリブラン劇場のまん前、幅2メートル位の道路を挟んで
劇場と同じ名前のマーリブランというホテルがあって、10年程前には
よく泊まったものだ。昔は前の劇場で歌う歌手などが逗留したのだろう。
その頃の面影を残して他とは一寸変わった三つ星ホテルだ。
レストランが地上階にあって宿泊者以外も入れる。
結構美味しくて、食べた人に云わせるとイカ墨のリゾットなどは絶品だそうだ。
この間行った時はバカラ マンテカータ(鱈の切り身を茹でてほぐし、パセリ、
ニンニク、牛乳、オリーブ油などと混ぜて捏ね上げた料理)があったので
注文したが、10年前と変わらない味だったので、シェフもそのまま居ついて
いるのかもしれない。
  マーリブラン劇場はリアルト橋を渡らないで郵便局の前を道なりに
まっすぐ行って右側にある教会の角を曲がるとすぐ。観光街から
すぐなのに、本当のヴェネツィアが見られる。
  
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by pincopallino2 | 2012-01-30 14:48
ヴェネツィアのオペラ劇場 1
 ルネッサンスの頃フィレンツェで始まったオペラはヴェネツィアで盛んになり、
ついでナポリに移ったのだそうだが、ヴェネツィアでは最盛期に72だかの
オペラ劇場があった。有名なラ フェニーチェは何回か火災に会い、最近の火事
から立ち直ってつい数年前に再開したばかりだが、実は殆ど同じ時期にもう一軒
改装されて開場した。
 Malibran(マーリブランと発音する)という劇場で、僕が始めてこの建物を見た時は
見捨てられた廃屋で客席への矢印案内を書いた木材が散乱していた。 
 この劇場、1677年に建てられたものだが、工期はたったの4ヶ月だったそうだ。 
それでも1683年当時、19軒あったオペラ劇場の中で「最も美しく充実している」と
褒め称えられている。最初の建物は観客席が5列、各列に座席が33しか
なかったが、1700年代に改装されて各列の席数が40に増え、観覧席全体が
U字形になった。1835年に此処で「夢遊病者」を歌った歌手の名前をとって1835年に
マーリブランと呼ばれるようになったが、その頃から衰退し始め、1900年代の初めには
オペラ、オペレッタの他に映画も上映していたとのこと。1992年にヴェネツィア市が
買い取って大改装を行ない、客席も900席に増やして再開することになった。
 改装の際、下を掘ったらマルコ ポーロが住んでいた家の跡がでてきた。マルコ 
ポーロの住んでいた家は劇場のすぐ横にあるし、その家に添った所に劇場の楽屋口が
あるから確かに劇場はマルコ ポーロの家の構内に建てられたのかもしれない。(もっとも
マルコ ポーロはクロアチア領、ドブロヴニク近くのコルチュラ島に住んでいたという説もある)。
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by pincopallino2 | 2012-01-29 17:16
地震
  今朝、関東・中部地方に地震があった。最近はラディオやテレヴィを点けておくと
よく地震の情報をやっている。日本中が絶えず揺れているみたいだ。
  かって夜中に地震があった時、ホテルに泊まっていたイタリア人のソプラノ歌手が
吃驚して公演もスッポリだしたまま翌日の飛行機で帰国してしまったことがあるが、
イタリアでも結構地震はある。2,3年前のアブルッツィやサン フランチェスコの廟の
壁画が崩れたアッシジ地方の地震はまだ記憶に新しいだろうが、ポンペイだって
ヴェスヴィオの噴火で壊滅する数年前には大きな地震に見まわれている。
シチリアのノトは1693年の大地震で崩壊し、5キロ程離れた場所に新しい町を
造らなければならなかった。メッシーナは1783年と1908年の2度にわたる大地震で
大打撃を受けている。その他地震は方々で起きて居るが、所謂直下型が多いらしく
被害は割合小範囲のようだ。かって北イタリアの村が夜中の地震で一瞬の間に
なくなってしまい、犠牲者も沢山出た時はローマの町中に市長の名前で追悼の
大きな壁新聞が張り出されていた。
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by pincopallino2 | 2012-01-28 11:24
イタリアの煙草
  本棚を整理していたら50年程前イタリアの専売局からもらった灰皿が出てきた。
四角い陶器で、4面にマチェドニア、エーデルヴァイス、ドゥエ パルメ、セラーリオの
模様が描いてある。エーデルヴァイスは赤と黒をバックにエーデルヴァイスの花一輪、
ドウェ パルメ は緑で椰子の木二本、セラーリオはブルーでアラベスク風に星が
散りばめてある。 何れも高級煙草だが今はないようだ。 安月給の僕には滅多に
吸えなかった。愛用していたのはナツィオナーレ スーパー フィルトロ。 最も
ポピュラーな煙草だったが、その他にアルファなんて安いのもあった。
  安葉巻のトスカーナは小間物屋でも売っていた。
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by pincopallino2 | 2012-01-27 10:38
パレルモの考古学博物館
  お国柄だけに考古学博物館はイタリア中無数にあるが、
僕はどういうものかパレルモの博物館が気にいっている。
はじめて行った時は改装中で、三階に古代ローマ人の
彫像が沢山放置されていた。参観者なんて一人もいない中で
そんな彫像に囲まれていると彼等が話しかけてくるような錯覚に
捕らわれてはるかなるローマの昔に思いを馳せたものだ。
  この博物館にはカルタゴの日本で言えば仏壇のようなものも
展示されていて、2200年位前の彩色が残ったりしているが、
面白いのは南のギリシア遺跡セリヌンテの神殿のメトープ
(欄間絵のようなもの)。メドゥーサは髪の毛が蛇で、彼女を
見ると石になってしまうギリシアの妖怪と子供の頃から聞かされて
いたが、此処に展示されているものは舌を出したりしていて
漫画チックだ。ゼウスの結婚と言う名がついた浮き彫り彫刻は
浮気をしたゼウスが女房のヘーラに見つかって「もうしません」と
謝っているみたい。そんなゼウスを一大痴話喧嘩のあとで
ヘラが「しようがない人ね」と言って許しているように僕には思える。
  とにかく古代の世界にさまよいこんだ気持ちになる博物館だ。
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by pincopallino2 | 2012-01-26 14:20
マフィア 続き 6
  シチリアでもアメリカでもマフィアのファミリーどうしの勢力争いは凄かったようだ。
日本のヤクザの出入りと同じようなものだが、仁義なんてなんのその。床屋で
髭をそっていたり、レストランで食事をしたりしている間にピストルで撃たれてしまう。
ニューヨークのイタリア人街リトル イタリーのこじんまりしたレストランでこの間
ここでマフィアの親分が殺されたと聞いて、その凄まじさを実感したこともある。
  1980年頃からだろうか。イタリアでもマフィア退治に乗り出したが、取締りの
県知事や警官、検事達が片端から殺されてしまう。シチリアのパレルモの空港の
構内、ターミナル ビルを出てすぐの所の道路の真中に大きな穴があいていた事がある。
自動車が通れないので迂回したが、聞いたら数日前ローマからマフィアの取り締まりに
来た検察官の乗った車が爆破されたのだとのこと。勿論検察官は即死だった。
  しかし、イタリア政府もそんなこと位では負けていない。片端からマフィアを
捕らえて裁判にかけたが、その法廷のテレヴィを見て驚いた。法廷の中に鉄製の檻が
ずらりと並んでいて、被告は一人づつ隔離されて檻の中。被告達を暗殺から守る為
なんだそうだが、檻をガタガタゆすりながら裁判官に向かってどなっている様は
まるで怒ったゴリラみたいだった。
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by pincopallino2 | 2012-01-25 11:05
マsフィア 続き 5
  禁酒法で大もうけしたアメリカのマフィアも自由に酒が飲めるようになり、
政府の弾圧も強くなると、賭博等に精を出す一方イタリアのマフィアと
手を組んだ麻薬の密売にも力を入れて販売先を米国以外のメキシコや
その他の国に延ばしていった。
  その頃、アメリカで有名な親分はラッキィ ルチアーノで彼の時代から
マフィアに代わってコーザ ノストラ(俺達のことだ)という言葉が出来たらしい。
ラッキィ ルチアーノは結局掴まって終身刑になっていたが、時は第二次世界
大戦の真っ最中。アメリカ政府が取引を申し出たらしい。お陰でアメリカ軍は
シチリア島南部、ついでナポリ南方のバッティバリアの海岸近くに上陸し、
戦況を有利にすすめることが出来たが、ルチアーノはシチリアのマフィアと
連絡を取って米軍の上陸の手助けをさせたらしい。シチリアのマフィアは
ファシストにコッピドクやられていたから愛国心なんてなんのその。まして
仲間のラッキー ルチアーノからの頼みだから喜んで協力したのだろう。
ナポリ南方の海岸に上陸したのはマフィアとも関連のあるナポリのギャング団
カモッラに応援を頼んだのだろう。お陰でルチアーノは罪一等を減じられ、
アメリカ国外追放となったが、連合軍もマフィアの助けを借りなくては
上陸できなかったのだろうか。
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by pincopallino2 | 2012-01-24 11:06
マフィア  続き 4
  そのうちアメリカ マフィアにもファミリーができる。 
ファミリーは家族といった意味だが、日本のヤクザで
言えばさしずめ何々一家とか何々組にあたるのだろう。
 初代の親分で有名なのはアル カポネということだが
カポネは分類上マフィアではなく、ギャングだと聞いた
ことがある。いずれにしろ僕にはあまり興味のあること
ではないのでぅわしいことは知らない。
 アメリカのギャングだかマフィアは恐ろしく間抜けな
禁酒法のおかげで闇酒が売れ、大儲けをしたが、
本家のイタリアではファシスト政権の弾を圧をくらって
大打撃を受けたようだ。 
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by pincopallino2 | 2012-01-23 11:24
マフィア  続き 3
 (昨日は亡妻の3周忌の法要を営んだのでブログは書けなかった)

 アメリカでのマフィアは1900年代の初め頃から本格的に始まったらしい。
1880年頃からイタリア人のアメリカ移民が盛んになったようだが、その中の
シチリア人達の間に将来マフィアに育っていく連中が雑じっていたのだろう。
 始めは麻薬に興味を示さなかったシチリアのマフィァも資金源を求めて手を
染めるようになる。丁度フランスのマルセイユにあった麻薬ノ精製所が当局の
手入れにあって壊滅したので、その後をついだシチリア マフィアはシチリア
東部のカターニアにまで麻薬の精製所を造り、その製品をアメリカに密輸し、
アメリカ マフィアが売りさばいたということだ。
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by pincopallino2 | 2012-01-22 12:55