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心に残るレストラン 92
  ヴォメロの丘の中腹にあるレストラン、D'Angelo。
昔はナポリに行く度に寄ったものだ。ナポリ料理が主で
どれもうまかったが、外の景色が素晴しい。、ナポリの
町の向こうにナポリ湾が一望でき、窓辺には赤い
ゼラニウムの花が咲いて、夢のようにロマンティックな
場所だ。店の名前は親爺の名前から取ったもの。
デブデブに太った大男だったが、若い頃は有名なナポリの
オペラ劇場で歌っていたテノールだそうで、興が乗ると
店が揺れる位の声で歌ってくれた。
  最近は周りの土地を買占めたのか広い駐車場を作り
店も改装して大きくなった。
  もう一度是非行ってみたいレストランだが、
オペラ歌手の親爺はもう居ないかもしれない。 
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by pincopallino2 | 2012-07-31 11:21
心に残るレストラン 91
50年程前の冬、アドリア海沿岸のペスカーラ。
自動車で行ったのだが、高速道路のない頃だから一般道。
夕方ローマを出たが、アペニン山脈を越える時濃霧に
見舞われて一寸先も見えない。仕方がないから前を
ノロノロ行くトラックのテイル ランプを頼りに走ったが
お陰でペスカーラに着いたのは夜の9時過ぎ。ペスカーラは
夏、ドイツ人の海水浴客で賑合うが冬は死んだようになって
海岸沿いに立並ぶホテルも殆どしまっている。やっとのことで
開いているホテルを一軒見つけ、泊ることにした。
腹はぺこぺこなので早速夕食をと思ったのだが、冬の寒い夜に
開けているレストランなんて近所には一軒もない。
ホテルに頼んでありあわせのもので料理を作ってもらい、、
真っ暗な海を眺めながら食事をしたが、食堂も無人で
我々の家族だけ。当時はまだ白黒のテレヴィがサン レモの
音楽祭の中継をやっていて、ミルヴァが歌っていた。
 そんな侘しい、冬の食事の光景がいつまでも心に残っていて時折
思い出すが、どのホテルだったかは覚えてなく、その後ペスカーラに
行った時も分らなかった。


家族
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by pincopallino2 | 2012-07-30 15:17
心に残るレストラン 90
 冬、ローマに氷雨が降る時はフラスカーティは雪だというので夜など友人を誘って
よく出かけたものだ。行く店は決まっていて、高台に上がった途端にあるレストランだったが、
名前は忘れてしまった。見下ろすとVia Tuscolano(トゥスコラーノ街道)がローマから
まっすぐ延びているのが眺められ、階段には世界中の紙幣を集めた額が飾ってあって、
猪といわれた戦前の紙幣もあった。
 冬になるとなぜかこの店のことを思い出し、たまらない郷愁を覚える。
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by pincopallino2 | 2012-07-29 12:38
心に残るレストラン 89
  レストランではなく、ローマ、エウルのViale Americaに面した
バールの思い出。たしかViale AmericatoとViale BeethovenかViale
Pasteurかの角だった。すぐ裏に住んでいたので、毎日コーヒーを
飲みに行ったが、小学生くらいの男の子がよくキャッシャーをやっている。
学校に行かないのかと聞いたら、小学校に入って1年目はなんとかうまく
行ったが、2年生の時に2回落第。3年になったら3回落第して4年生に
進めない。一緒に入学した友達達は卒業してしまうし、勉強も好きでは
ないので退学してしまったとのこと。学力は2年生位しかあいのに、
キャッシャーの仕事はちゃんと出来た。今は店を継いで立派にやって
いることだろう。
  ある日曜日、ブラリと店に入っていったらおばあさんが粉を練っている。
聞いたら家族の夕食用にピッツアをこしらえているのだとのこと。
見ているうちに食べたくなって、僕にも一枚くれないかと頼んだが
家族の食事だからと譲ってくれない。なんとか頼み倒して一枚もらったが、
その美味しいこと。今まで食べた中で最高の味だった。聞けば彼女、
ナポリ生まれだとのことだったが、その頃の僕はピッツァの生地はイーストを
入れて一晩寝かすのを知らなかった。家族の食事を取り上げて誠に
済まなかったと悔いている。
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by pincopallino2 | 2012-07-28 11:47
心に残るレストラン 88
ローマから海岸沿いにナポリに行く途中のマーガ チルチェオ。
ティレニア海につきだしだ小さな岬だが、近くにサバウディアの
国立公園もあって風光明媚な所だ。
 岬の麓に小さなホテルがあって、食堂はヨット ハーバーに面して
いるからヨットで食事に来る客も多い。
 ローマからカステッリ ロマーニの道を通ってよく食べにいったものだ。
このホテル、立て直していまだにある。
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by pincopallino2 | 2012-07-27 08:13
心にのこるレストラン 87
昨日書いたトラステヴェレのレストランと同じような感じの店が
ポポロ広場にあった。カノーヴァという店で同じ名前のレストランが
ヴィア ヴェネトにもあったからどっちかが本店だったのだろう。
表側は喫茶店、中に入るとテーブル席で食事ができたが、不思議なことに
奥に行くにしたがって値段が高くなった。裏につん抜けると、テーブル
一脚分位の空き地があって星空とピンチョの丘を下ってくる車を眺めながら
食事ができた。
 この店のグラニータ ディ カッフェは変わっていて、エスプレッソで作った氷を
米粒大に砕いて、もう一度冷たいエスプレッソを掛けたものだが、すこぶる美味しくて
夏になると毎晩のように通ったものだ。
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by pincopallino2 | 2012-07-26 11:10
心に残るレストラン 86
前にも何回か書いたと思うが、ローマ、トラステヴェレのレストラン。
一見なんでもない店に見えるのだが、何回も通って顔なじみになると、
客の居ない冬の雨の降る晩等、親爺自らが手品をやってくれる。中でも
カードから一枚好きなものを抜き取らせ、他のカードを全部まとめて
放り上げると、今抜いて手に持っているカードが天井に貼り付いている。
抜いて又元に戻すならまだ分るけど、これだと同じカードが2枚あることに
なる。糊もつけないカードが天井に貼り付くのも不思議だった。
 この店、夏になると裏庭にテーブルを出して食べさせてくれる。
裏庭と言っても4人掛けのテーブルで一杯になる位の狭さ。星空の下で
葡萄の木につかまったやもりだかいもりだかが啼いていたのを懐かしく
思い出す。
 今はなくなってしまった店。
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by pincopallino2 | 2012-07-25 10:27
思い出に残るレストラン  85
今から50年位前のローマ。観光旅行が許可されていない頃だったので
たまに来るお客様は業務渡航の人ばかり。仕事を終えてローマから
日本に帰る出張者が多かったが、大抵の人は西洋料理に辟易して
日本食を食べたがる。でも当時、日本料理家は皆無で中華料理屋が
4軒しかなかった。但し僕は2軒しか知らないし、店の名前も忘れて
しまった。ただ一軒よく行ったのは天津。日本料理でなくても
お客さんはお米と醤油の味に感激していた。
 そのうち航空会社街のパンナムの2階に中国人の新婚夫婦が
中国料理屋を開いた。奥さんは実家が東京、後楽園の裏の中華料理家と
いうことで日本語を話し、メニューにはカツ丼なんていうのが
あったから、よく通ったし、お客様も連れて行って喜ばれたものだ。
懐かしい思い出の店の一つだが、今はない。 
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by pincopallino2 | 2012-07-24 11:24
心に残るレストラン 84
昨日書いたコルセッティと同じローマのトラステヴェレにあるレストランの
ダ メオ パタッカ。古くさい小屋のような建物で客席の間を楽隊が練り歩いて
ローマのザレ歌などを聞かせるが、夏は裏通りに出したテーブルでも食べられる。
 そんな夏の夕食。ローマの裏町のままの戸外で食事をしているとまづしい
庶民の服装をしたジイさんがいきなり歌いだす。格好はみすぼらしいが、
歌声は素晴しいので聞きほれていると、向かいのボロ家の窓が開いてでぶでぶに
太ったお内儀さんが顔を出し、下の道にいるジイさんに合わせて歌いだす。
昔の恋の歌だが二人のドェットが素晴らしく、何時までも聞きほれていたものだ。
この店、テーブルはボロボロでガタガタ。料理もそれほどうまくなく、食器は
お粗末ダガ、昔のローマの庶民の生活を思い出させて楽しい所だった。
 
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by pincopallino2 | 2012-07-23 12:01
心に残るレストラン 83
ローマにはエウル等の郊外を含めてコルセッティという名前のレストランが
3軒だか4軒だかあって、コルセッティの下にそれぞれ違った名前がついているが、
僕が通っていた頃はトラステヴェレの本店とエウルに支店があるだけだった。
トラステヴェレの店は中が帆船の船室造りになっていた。夜、食事が終わって出てくると
玄関口におばあさんがヴァイオリンを弾いていた。革命から逃げてきたロシア貴族の
老夫人だそうで、トラステヴェレの夜の喧騒の中で独特の雰囲気をかもし出していた。
この夫人、ローマの夜の名物になって、店は頼みもしないのに良い宣伝になっていた。
彼女を撮った写真、いまだに持っているが本人は天国で安らいでいることだろう。
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by pincopallino2 | 2012-07-22 08:52