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諸聖人の日
 明日11月1日は諸聖人の日。聖人は沢山いるからまとめて供養してしまおうと 
いうことなのだろうか。プロテスタントのことは知らないが、カトリックでは
盛大におまつりする。
 翌2日は死者の日で、本来は家族一同弁当を持って墓参りをし、お墓で先祖と
一緒に食べるのだそうだ。沖縄の仏事とよく似た話しだが、都会のお墓は
生きている時と同じマンション スタイルだからそんな余地はない。
田舎だけに残っている風習なのだろう。
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by pincopallino2 | 2012-10-31 10:55
物言う像
 ローマ、ナヴォーナ広場からヴィットリオ通りに出る途中のパンタレオ通りに
あまり目立たないが、欠けてどんな形だったかよく分らないような石像がある。
元はヘレニズム時代の彫刻だったそうだが、後でこのあたりの道が雨でぬかって
歩けない時の敷石に使われて暫くは土に埋められて踏づけられていたのを
掘り起こして傍の建物の外側の壁に埋め込んだ。たまたま近くに皮肉屋の
親爺が住んでいたので、彼の名前を取り、パスクイーノと呼ばれるようになった。
そのうちローマっ子達が時の政治や世相を風刺した詩を書いてこの像に貼るように
なったのだそうだ。名前がついたのが先か詩を書いた紙を貼り付けるように
なったのが先かは知らないが、イタリアではStatua Parlante(もの言う像)。
いわば一種の落首板で、今でもたまに貼り付けてあるが、ローマ弁で書いて
あるので、分りづらい。
 こんな落首板かわりに使われた像は昔のローマには方々にあって、今でも
ルクレツィア夫人、ルイジ大修道院長、マルフォリオ、ファッキーノ等幾つかが
残っている。
 因みに僕のブログの題はこのパスクィーノからとった。
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by pincopallino2 | 2012-10-30 11:49
ミルヴィオ橋
  ローマのテヴェレ川に架かるポンテ ヴェッキオ(Ponte Vecchio)は
紀元前3世紀には既にあった古いローマ時代の橋。その後少しは修復された
そうだが、つい最近まで車も通れた。僕も自動車で渡って、上流のすぐ隣に
戦後完成した大きくて近代的なフラミニオ橋が開通後すぐに閉鎖して修理を
しなければならなかったのに比べ、ローマ時代の土木の素晴しさをじかに
味わったことがある。
  紀元312年だかにコンスタンティヌスが不合法な皇帝マクセンティウス
の軍を破った戦いがあったことでも有名な橋だ。
  その戦いの際コンスタンティヌスはキリストが処刑された十字架の夢を
見て勝ったとのことで、我々から見れば荒唐無稽な「十字架伝説」の一部にも
なっていろ。十字架伝説はピエロ デッラ フランチェスコが描いた絵となって
トスカーナ州アレッツオのサン フランチェスコ寺院に残っているが、
伝説自体がこじつけの上どういうわけか絵の配列が物語り順で無いので、
分りづらいことおびただしい。
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by pincopallino2 | 2012-10-29 11:12
セッテベッロ
 イタリアのカルタ(トランプ)はダイヤとかハートではなく
剣、棍棒、コップ、金貨の4種類で、一番普及している遊びでは
セッテベッロ(金貨の7)が一番強い。
 セッテベッロはローマ、ミラノ間を走るイタリア国鉄の特急列車の
ニックネイムにもなっていた。流線型で窓が大きく、各車輌とも
1等車。たしか360度回転するソファだったから座席の間が広く、
日本の国鉄の総裁も試乗に来たことがあった。
 その後、外観はこの列車によく似た特急を小田急が走らせていたことがある。
  
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by pincopallino2 | 2012-10-26 11:22
イタリアの王室
  トリノのサヴォイ家が始めてイタリアを統一して王国を造り、
国王となったのは1861年だが第二次世界大戦後の1946年には
国民投票で王制は廃止され、イタリアは共和国になった。
王制を支持する者はたった1票の差で負けたとも云うが、実際には
共和制を望んだ方が200万票位多かったようだ。
結局王制は86年しか続かず、王としては4代目で終わった。、
国民が王を嫌ったのは都市国家時代の気持ちがまだ抜けず、
地方色が強くて統一国家としての国民意識が薄かったせいもある
だろうが、イタリアが連合軍に降伏した時、国民を放りだして
自分達だけ密かにローマを脱出し、軍艦でエジプトに逃げようとしたからだ。
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by pincopallino2 | 2012-10-25 11:54
第二次世界大戦の日本とイタリア
 アメリカ、イギリス、支那、オランダの所謂ABCD諸国と戦った
日本は反戦的な考えを持った人も強大な力を持った軍部の圧力で
何の発言もできずに悲惨な終戦を迎えることになったが、
その際も天皇陛下に申し訳ないと宮城前で土下座する者も多かった。
いわば不本意であるとしても唯々諾々と戦争と敗戦を受け入れた。
 イタリア人は始めのうちこそムッソリーニ率いるファシスト党に
熱狂した者が多かったものの、敗戦が続くにつれて戦争生活が
いやになり、ファシストに対する抵抗運動を起こした。
政府の最上部でも国王、侍従長、陸軍の将官、佐官クラスの
人達が密かにムッソリーニを倒して終戦を模索していた。
アメリカに降伏した時一般市民は家から飛び出し、路上で
抱き合いながら戦争が終わったと喜び合ったそうだ。
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by pincopallino2 | 2012-10-24 11:17
イタリア人の融通性
  昔は汽車に乗るにも切符を買ってそのまま乗って車内検札に来た車掌に
見せて鋏を入れてもらうだけ。降車駅では改札無しだったから、ミラノから
パヴィア迄特急行列車にただ乗りしたこともあったが、最近は改札機が各駅に
置かれるようになって乗客は自分で改札しなければならない。改札機は駅の
方々に取り付けてあるから、慣れないと忘れてしまう。一見便利なようだが
乗降ごとに改札口を通る日本の方が余程能率が良いと思う。
  改札機が設置された頃、たしかボローニァからヴェネツィア行きの急行に
乗った。車内検札に来た車掌が改札の刻印がないから罰金を払えという。
かなり高額の金額だった。たまたま同じコンパートメントに乗り合わせた
日本の女性2人も無改札だったが、その車掌、3人分を一人ということにしてくれた。
  国道1号線、ヴィァ アウレリアのものすごく広い交差点で二重追い越しを
やって交通機動隊に掴まった。免許証を見せたら登録料を払っていないと言う。
イタリアの運転免許は10年間有効。但し毎年登録料を払ってはんを押して
もらわなければならないのを忘れていたのだが、警官は登録料は早く払えと言って、
二重追い越しの罰金だけ払わされた。
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by pincopallino2 | 2012-10-23 11:27
イタリアの警察 続き 3
日本の総理大臣だかがイタリアを訪問した。
ローマで一行は2軒のホテルに分宿した。
トップ VIP だから空港からイタリア警察のパトカーに
先導されてそれぞれのホテルに向かったが、片方のグループは
目的のホテルの前をスピードも落とさずに通過していく。
 暫くして戻ってきたが、先導車の乗員曰く、違うホテルと
感違えしてしまったとのこと。お陰でホテル到着がかなり
遅れてしまった。
 先導車の警官が後でどんな叱責を受けたか知らない。
多分笑って済んでしまったのだろう。
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by pincopallino2 | 2012-10-22 10:40
イタリアの警察 続き 2
イタリアの警察は国家警察(カラビニエーリ)と
各都市ごとの地方警察に分かれている。
 カラビニエーリは軍隊の一部だから陸軍の制服を
着ているが、儀式や馬に乗って居る時は特別の服に
着替えて冬は表が濃紺、裏が真っ赤なマントを
羽織るから華やかで観光客の興味の対象になる。
 地方警察官の制服はどこでも大体同じだが都市に
よって少しづつ違っている。
 ローマの婦人警官の服装は靴から鞄まで全部
有名ブランドで揃えたので一時たいへんな人気だった。
着ている警官が全てそんなモードが似合うかどうかは
分らない。
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by pincopallino2 | 2012-10-21 10:30
イタリアの警察 続き 1
 イタリアの警官は日本の警官より良くも悪しくも市民達との仲が密接なようだ。
小さい子供や老人等が横断歩道を渡る時親切に手をかして居る姿は良く見る
光景だった。
 イタリアの葬列は昔の馬車にならって、自動車でもゆっくり走り、参列者は
その後を歩く。そんな行列が来ると、警官は交通を遮断し、霊柩車に向かって
挙手の礼をする。
 1月 6日の公現祭の日には普段は信号機だけの交差点にも、真中に置いた
踏み台のような物の上にお巡りさんが立って交通整理をするが、足元には
市民からの贈り物が山のように積まれる。小さい子供がそんな贈り物を持って
来た時はお巡りさんが交通を遮断して子供に沿って歩く。なんとも微笑ましい
限りだが、お巡りさんは商店などにも挨拶に来る。この時は幾らかの金を
渡さなければならない。日頃お世話になっている礼心だ。 
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by pincopallino2 | 2012-10-20 14:15