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トリエステ
 フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアという長ったらしい州の州都で、
イタリアとクロアチアの間にあるアドリア海の一番奥にある、古くは
オーストリア領だった港で当時はすこぶる繁栄していた。
 起源は古く、ローマ時代の野外劇場が残っている。トリエステの
町全体を見下ろすサン ジュストの丘の昔は並んで立っていた二つの
教会をあわせたサン ジュスト教会は、床の一部が5世紀のもの。
12、3世紀のモザイクも残っている。
 町自体、一時は繁栄を極めたオーストリアのものであっただけに
瀟洒な感じ。個人的には海岸沿いの大運河付近からイタりア広場周辺が
好きだ。周りの丘からの眺めも情緒があって素晴しい。
まだこの町に来たことがい頃、イタリア人からトリエステは
町も住んでいる人間、殊に女性達も綺麗だと聞かされてあこがれていた
ものだが、女性はともかく、食事裳旨い。
 国境のすぐ傍だからスロヴェニア領の美しい海岸地帯やウィーンの
スペイン乗馬場と同じ馬術ショウーが見られる白い馬の産地にも
すぐ行けるし、クロアチアも近い。
 何日もこの州の主な所を紹介してきたが、まだ色々と素晴しい所があり、
歴史、美術にも富んで、料理も美味しいので、是非訪ねて欲しい。
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by pincopallino2 | 2013-01-31 11:01
ミラマーレ城
 国道14号線をアドリア海沿いに下がって行くとトリエステの
手前10㌔程で海辺に瀟洒な建物が見え始める。オーストリア、
ハプスブルグ家の皇子マクシミリアンの城で、近世のお城の
模範になっているのだそうだ。
 マクシミリアンは海が好きで、よくボートやヨット遊びをして
居たこの地に居城を作ろうとして自ら設計にも手を出したが
途中でメキシコの皇帝になり、反乱軍に銃殺されてしまったので
結局城の完成を見ることなく死んでしまい、残された皇妃の
シャーロッテは悲嘆の余り気が狂って、実家のベルギー皇室で
狂死してしまった。
 海の好きな人が住もうとしただけにどの部屋からも海が眺められ、
広くて素晴しいイタリア式庭園がついていて、夏の夜は光と音で
マクシミリアンの悲劇が再現される。
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by pincopallino2 | 2013-01-30 15:59
グラード Grado
アクィレイアから352号線を南下するとすぐ海の中道に出る。
丁度アメリカのマイアミからキイ ウエストに行く感じだが、
それよりズッと短かいし、グラード潟の中だから景色も次々に
変化して飽きることがない。終点のグラードは遠浅の砂浜で、
蛮族の侵入に脅かされたアクイレイアの人々が逃げ込んだ所だ
そうだ。ヴェネツィアの小さな島とよく似た旧市街には素晴しい
モザイクと独特なムーア様式の小さな丸屋根を持つ聖エウフェミア
教会や5角形の洗礼堂、ローマ時代の石碑の博物館などがある
可愛い町。新市街も綺麗で、瀟洒な海水浴場だ。
 個人的に大好きな町。午前中アクィレイアで観光をしてから
この町の漁村でも眺めながら美味しい魚料理の昼食でもとると最高。 
アクイレイアからは10㌔位しか離れていないが、汽車はない。
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by pincopallino2 | 2013-01-29 12:07
アクイレイア Aquileia
  パルマノーヴァから高速道路4号線を横切って15Kmばかり南の
アクイレイアは紀元前181年だかにできた町で、ドナウ川から
今のドヴロクニク付近迄を治めていたローマ第10州だかの州都。
軍管区も置かれていて、ゴート族のアラリック等と戦って
勝ったが、紀元452年にはアッティラに負けたらしい。
 当時のまま町の真中を突き抜けている国道352号線を挟んて港、
野外闘技場、競馬場、フォーラム、墓所等が残っている。
  西ローマ帝国崩壊後は東ローマのビザンティン帝国の管轄下に
入って、ビザンティン帝国独自の聖職である総大司教の教区が
置かれたが、総大司教はその後ロンゴバルド族に追われてコルモンス、
チヴィダーレ デル フリウリ、ウディネと逃げ1751年に消滅して
しまった。
  11世紀の有名な総大司教ポッポーネが造ったといわれる聖堂の床は
一面モザイク画で見事。他にも立て直す前にあった床なども綺麗に
残っている。最近3番目の建物の床も公開されていて、魚だの、
漫画チックな模様だのと多種多彩。
 床一面がモザイクで覆われている南イタリア、オトラントのドゥオーモ等も
有名だが、イタリアのこの種の床モザイクは皆此処のモザイクが手本に
なっているのだそうだ。
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by pincopallino2 | 2013-01-28 13:41
パルマノーヴァ Palmanova
 ウディネからの高速道路23号線が南に下がって高速4号線と交差するあたりにある
パルマノーヴァは8角形だか9角形の星型をした城壁に囲まれた町。
城門の前には衝立のように防護壁があって
もともとヴェネツィアが外敵を防ぐ為に築いた砦で出来上がったのは1682年。
城門の前には防護壁が衝立のように立っていて敵の侵入を伏せいでいる
城壁の中も幾何学的に整備された街並みで、中心部にあるドゥオーモは1600年頃
有名だった建築家 パッラディオに匹敵したシカモッツイが設計したものだそうだ。
 観光的なものは殆どないが、時間があったら寄ってみたい町だ。
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by pincopallino2 | 2013-01-27 12:04
ゴリーツィア
  ゴリーツィアは起源千年頃、当時の奴隷達が゙ゴリザ(小山)と
呼んでいたのが町の名前の語源だそうだが、近くにあるアクイレイアの
総大司教、ヴェネツィア、オーストリアのバプスブルグ家、イタリアと
統治者が転々と変わり、第二次世界大戦後はイタリア領、ユーゴスラヴィア領に
2分されてしまった運命の町。東西冷戦の頃は道路に高い鉄条網が張り巡らされて
いて東の共産圏から西側に逃げようとして鉄条網をよじ登る人達が東側の警備兵に
射殺されて可哀そうだったとその国境の前にあるレストランの親爺に聞いたことが
ある。金網のすぐ向こうに大きな駅があってウィーン行きの列車も出ていると聞いて、
その晩ウィーンに行く為にウディネに迄戻らなければならなかった僕は
世界が平和であって、自由に国境を通過できれば良いなとつくづく思ったものだ。
今はユーゴスラヴィアからスロヴェニアになっているゴリツィアの半分は
新ゴリーツィアと呼ばれている。 
見所は幾つもある町だが、歴史美術博物館は必見。郷土料理、オーストリア料理、
スロヴェニア料理が混ざっている料理も結構美味しい。
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by pincopallino2 | 2013-01-26 11:39
チヴィダーレ デル フリウリ
 コルモンスの北20㌔ばかりのチヴィダーレ デル フリウリは
最近ユネスコの世界遺産に指定された所。ローマ時代、中世、
ヴェネツィア統治時代と歴史は古く、夫々の時代の文化遺産が
残っている。ロンゴバルド族がイタリアに侵入して来た時、
このあたりを通ったらしく、彼等の造った小さな神殿が
川べりに残っている。町の入り口を流れる川に架かる橋は
悪魔の橋と呼ばれ、上に立つと町の中心を一望できる。
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by pincopallino2 | 2013-01-25 13:46
コルモンス
 ウディネから30kmばかり離れた所にコルモンスという日本式に言えば
村がある。起源は非常に古く、ローマ以前からあったそうで、良質のワインの
産地でもあるが、葡萄畑の大半は今スロヴェニア領になっているそうだ。
 初めてこの村に泊った時、フェカロというホテルだったが、入り口からは
遠い玄関に沢山の人が立っている。夜なのに出迎えご苦労様とそばに寄って
行ったら全部人形だった。謝肉祭のパレードに使う人形で普段は置場が
ないから玄関に飾って置くのだそうだが,全部オーストリア、ハプスブルグ家の
人々で、他の町のものと違って面白い。
 スロヴェニアとの国境に2,3Kmばかり行った所にあるレストラン、スビーダは
心に残る店。夕暮れ時など田舎道を走って行くと、古くて穴だらけの板塀がある。
門を入ると途端に庭で綺麗な女性がアペリティヴのサービスをしてくれる。
夕焼けの空を眺めながらお摘みを摘んでいると、お席の用意ができましたと
呼びにくるが、出て来る料理はどれも美味しいが、珍しいものばかり。
イタリア、オーストリア、スロヴェニア料理が入り混じっていて、サーヴィスの
女性が説明してくれるが、名前は全部忘れてしまった。
 このレストラン、昔は猟に来る人用の宿屋だったらしく、今でも泊めてくれる。
建物は日本の料理屋にも一寸似ていて、なんとなく親近感がもてたが、
最近ミシュランで星が付いたせいか改造されて、以前の情緒がなくなったようだ。
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by pincopallino2 | 2013-01-24 11:41
ウディネ
 生ハムの産地サン ダニエーレの南約30Km.にあるウディネは人口10万の
このあたりにしては大都会。中心部のリベルタ広場には1400年代中頃に
建てられた旧市庁舎と向かい合っヴェネツィア風の時計塔や柱廊があり、
その横から丘の上のお城に登る、歩道部分が屋根の付いたポーチ状に
なっている坂が始まる。ドゥオーモや大司教館にはテイェポロの絵があるから
美術好きな人には必見の場所だ。
 世界中の空港や駅でよく見かける掲示板のソラーリ社はこの近く。
昔、この会社に出張していた日本人の技術者が駐屯していたイタリア軍で
一番の酒飲みと評判の下士官と飲み比べをしたら勝ってしまって
賭けていた軍帽を取ってしまった。あくる日の朝、下士官の上官が来ると
言ってきたので、軍帽を取り返しに来るのだとビクビクしていたら
あんなうわばみみたいな奴を飲み負かしたってどんな男だろうと見に
来たのだそうだ。
 ウディネには有名な刺繍の学校があったが、先生が年をとったので
止めてしまった。
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by pincopallino2 | 2013-01-23 11:31
サン ダニエーレ
 タルヴィジオから高速道路沿いに80Kmばかり南に下がった所にある
サン ダニエレはエミーリア・ロマーニァ州、パルマ近郊の
ランギラーノ産に匹敵する生ハムの産地。ランギラーノの村に始めて
行った時は農家の窓という窓に生ハムが鈴なりに干してあって壮観だったが、
今は衛生の面で全てコンピュター制御に変わってしまった。
 もともとランギラーノ地方ではテイレニア海から吹いてきて途中アペニン
山脈を越える時湿気を落とした潮風に当てて乾燥させるのに比べ、
サン ダニエーレではアルプスから吹きおろす風にあてるのだそうだ。
 サン ダニエーレには近代的な工場があって生ハム料理も食べられる。
個人的な嗜好ながら味はパルマの方がおいしいが、切った途端の香りは
サン ダニエーレのハムの方が良い。
 サン ダニエーレの町は1976年の大地震でかなり破壊されたが、今は
殆ど復旧している。
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by pincopallino2 | 2013-01-22 14:40