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戦後の日本人旅客 6
  学生時代の友人がローマに来た。
イタリアの前に色々な国を廻っていたらしく
どこの国でも女性にモテモテだったのとそんな自慢話しばかり。
30台後半になっても独身だから無理もないだろうと
いい加減に聞いていたら、イタリアの女性とも仲良くしたいと
言い出した。
 首尾良く夜の巷で知り合った女性と意気投合
しかるべき所に二人で消えて行ったが、
言葉も通じないので心配だから、近くのバールで待っていたら
相方の女性が飛び出して来てチョット来てくれという。
行ってみたら、彼、股引を履いたままベッドの上に正座していて、
女性の方は「そんなに私は魅力がないの」と怒り心頭。
 一昔前には外国に来て虚勢を張る男なんてこんなのが多かった。
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by pincopallino2 | 2014-10-31 14:17 | Comments(0)
戦後の日本人旅客 5
  ローマの日本人ガイドから聞いた話し。
  会社の同僚数人での業務渡航。欧米各地を廻ってローマに着いたのは夏。
  仲間達は夜遊びに行って、一人ホテルで寝ていたが、夜中トイレに行きたくなった。
でも部屋にはトイレがないので裸のまま廊下の隅まで行き、用を足して戻ってきたものの
鍵は中に置いたままなので部屋に入れない。
 仕方がないので相部屋の仲間が帰ってくるのを廊下で待つことにしたが、
なかなか帰ってこない。
 夏とはいえ、真夜中になると冷えてくる。裸のまま廊下で体操をして暖を取り、
人の来る足音がする度にトイレに駆け込んで隠れていたが、
同室の仲間は帰ってこない。
 とうとう夜が明けてメイドが上がってきたので、後ろからそっと近づいて肩を叩いたら、
彼女ギャッと叫んで逃げて行ってしまった。
  暫くしてフロントの男がやってきて部屋の鍵を開けてくれたが、後で彼に聞いたら
メイドがすっ飛んで来て「東洋人の痴漢が怪我をしたらしく、お腹に包帯を巻いて立って
いる」と言ったそうだ。
  大方、晒の腹巻でもしていたのだろうが、それにしてもこの話し、出来すぎている
気がする。。
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by pincopallino2 | 2014-10-30 11:42 | Comments(0)
戦後の日本人旅客 4
  ヨーロッパには旅慣れない日本人旅客が
スリ達の良い餌食になっていた頃の話し。
  ローマの街角でイタリア人(らしい)男と知り合いになった。
最近スリが多くて我々イタリア人も困っている。
「聞くところによると、日本人はお腹に腹巻というものを
巻いてお金を入れておくそうだが、参考の為見せてくれないか」と
言われて公衆便所に連れていかれた。
 それではとズボンを下ろした途端、腹巻をひったくって
男は表に駆け出したが、ズボンをはかずに追いかけるわけにもいかず、
マンマと逃げられてしまった。
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by pincopallino2 | 2014-10-29 11:06 | Comments(0)
戦後の日本人旅客 3
  ある会社の社員。日本を出てカイロまでは同僚達と
一緒だったので意気軒昂。
仲間から悪い病気が移るかもと言われながらも土地の女性と
一夜の夢を結んだのだそうだ。
 その後ヨーロッパの国々を回って仲間達は業務上それぞれの土地で
別れて行ってしまい、ローマに着いた時は一人ボッチ。
途端に心細くなって、仲間のとめるのも聞かずに虚勢を張ってしまった
カイロでのことが心配で夜も眠れない。
 とうとうノイローゼになって社命の仕事もできない状態なので
急いで飛行機の手配をし、早々に帰国してもらったことがある。
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by pincopallino2 | 2014-10-28 11:40 | Comments(0)
戦後の日本人旅客 2
  ある一流新聞社の記者がやってきた。
何日かローマに滞在していたが、昼とか夕方になると
事務所に座り込んで帰らない。しまいには「ローマって
料理屋が少ないんだな」等と変なことを言い出すから
一人では食事が出来ないんだなと悟って
レストランに誘ったら、途端に元気になってあたりかまわず
大声でしゃべりだし、しまいにはナイフ、フォークを振りかざす有様。
大恥をかいたことがある。
 業務上、イタリアの記者連中とも随分付き合ったが、
彼等の方がはるかに紳士的だった。
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by pincopallino2 | 2014-10-27 13:53 | Comments(0)
戦後の日本人旅客 1
  戦後、業務での海外渡航ができるようになった頃の日本人旅客。
方々の国での珍談、奇談があったと思うがイタリアでも話しにことかかない。
  ある日の12時頃事務所に来客があった。色々と話しをした末、これからホテルに
戻って食事をして昼寝をするんだと言って帰って行ったが、こちらも昼食に
行って戻ってきたら、ホテルから、先刻のお客さんが部屋に入った途端に
気持ちが悪くなって吐血し、救急車でローマ大学の病院に運ばれたと知らせてきた。
  病院に飛んで行ったら開腹手術をしてベッドに横たわっていたが、翌々日に
なったら病院から逃げ出して行方不明になってしまった。数日後日本人と
結婚しているイタリア人の奥さんから電話があって、家にいる日本人のお客さんが
苦しがっている。お腹に怪我をしていて、大きな包帯を巻いているが、
傷口が膿んできたらしく、家中が臭くてたまらない。主人はあいにく出かけて
いるのでどうにかしてくれと言ってきた。
  早速連れ戻して他の病院(クリニック)に入れなおしたが、なぜ逃げ出したのだと
聞いたら、大学病院では胃潰瘍の手術をした明くる日の昼食にビフテキを
食べさせられたので、これはかなわないと思ったからだと言っていた。
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by pincopallino2 | 2014-10-24 15:00 | Comments(0)
OLのショール
  今は知らないが、イタリアのOL達は事務所で働いている時
ショールを掛けていた。夏でもはなさなかったのは冷房の風で
肩を冷やさない為だったのだろう。いずれにしろ、殺伐とした
事務所に花を添えて楽しかった。
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by pincopallino2 | 2014-10-23 15:41 | Comments(0)
男の上着の着方
  上着に手を通す時、たいていの日本の男は腕をあげて
袖を通すが、西欧人は下から袖を通す。いずれも殆ど
無意識の動作で、どちらが見た目に綺麗だとも
正しいともいえないが、西欧式の方が周りの人の
迷惑にはならないだろう。
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by pincopallino2 | 2014-10-22 16:21 | Comments(0)
戦前の在伊日本人
  太平洋戦争のことを知らない若者も居るそうだが
第二次世界大戦中、日本の大使館は勿論のこと、商社も
ミラノではなく、ローマに集中していた。報道関係の特派員も
ローマ。日本郵船とか今は存在しない満鉄(南満州鉄道)も
ローマに駐在員を置いていた。
  なまじ日独伊三国枢軸同盟なんていうのを結んでいたから
戦争中イタリアに滞在し、イタリアが米英側に降伏し、ドイツが
ロシア軍に追いまくられている真っ只中を逃げ回った
当時の在留日本人の苦難は並々ならぬものがあったようだ。

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by pincopallino2 | 2014-10-20 11:50 | Comments(0)
日本人と中国人
  僕はそんな経験をしたことは一度もなかったが、
イタリアの町を歩いていると日本人はよく中国人と
間違えられてチネーゼ、チネーゼと呼ばれる。
怒って「支那人じゃない。日本人だ」と怒鳴り返す人も居るが、
イタリア人には見ただけで日本人、支那人、朝鮮人の区別が
つかない。
  イタリア人にとって、古代ローマの時代から交易し、
人間の往来もあった中国人の方が、700年ほど前に
マルコ ポーロの本でその存在を知ったものの、
実際に見たのはそれから300年近く後であった
日本人より親しみ深いのは当然のことだろう。
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by pincopallino2 | 2014-10-19 16:44 | Comments(0)