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イタリアのテレヴィの思い出  続き 6
 イタリア初期のテレヴィでは男性歌手のクラウディオ ヴィッラなんかも
活躍していた。テベレ川を越えた庶民的名地区トラステヴェレで生まれた
下町のローマっ子で、お父さんは靴の修理職人だったそうだ。
 だから歌うのもいかにもローマらしいものが多く、大変な人気だった。
もっとも彼は自分のコマーシャルを作ってテレヴィで流したりしていたが。
 親日家で日本で何回もコンサートを開いたが、最後には家族を引き連れて
来ていた。クラウディオとはちょっとした知り合いだったが、暮れのたしか
29日の夜、横浜の楽屋で明日イタリアに帰ると言う時に会ったのが最後だった。
 2,3日後の元日、病気で入院していたドメニコ モドゥーニョ(ヴォラーレで
有名)を見舞う為自宅の下で好きなオートバイに乗ろうとした時に脳溢血か
なにかで倒れた。急を聞いて東京から駆けつけた義妹が病室に入った時
奥さんがクラウディオの目を両手で覆って「誰だかあててごらん」と言った
そうだが、目隠しをとって彼女を見た途端、彼の両眼から涙が滂沱のごとく
流れ出て日本に又行きたいとの意思表示をしたそうだ。その後間もなく
死んだが、彼のファンは日本にもまだいるのではないだろうか。
 (僕がこのような古いものを書いているのは、見た日本人が少ない頃の
イタリアのテレヴィと出演した人々の裏話を記録に残して何らかの資料に
なればとの思いからだ。イタリアにまだ行ったこともない若い人達には
面白くもないだろうが、イタリアに住んでいる人達、或いはこれから住む
ことになる人達のイタリアを理解する役に少しでも立てば幸いだ。)
by pincopallino2 | 2010-09-15 11:01
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