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僕とイタリア  19
ローマにはヴァティカン駐在の日本大使館もあって、
Tre Orologi(三つの時計)通りという高級住宅街に元日本大使で
その頃大使としてスペインに赴任していた、たしかレヴェディンという
旧伯爵の家を借りていた。(イタリアの華族制度は戦後共和国に
なって廃止されたが、通称では今でも使われている)。
 館員は大使と参事官、事務官の三人だけ、それに現地雇いの
イタリア人という小さな所帯で、一見するところあまり仕事がなさそうだ。
暇で良いですねと言ったら、世界的な事件が起きると、表には立たなくても
ローマ法王庁は裏でその解決にたいへんな努力をするので、その情報を
とったり、こっちから働きかけたりするので、結構忙しいとの答えだった。
この大使館、今でも同じ所にあるかどうか知らない。
 ローマにあるもう一つの日本の建物は日本文化会館。イタリア政府が
土地を提供してくれたが、日本がグズグズしていてなかなか建てない
ものだから、段々悪い所になったということだが、それでもボルゲーゼ
公園の傍のアントニオ グラムシ通りという一等地にある。通りの
名前のアントニオ グラムシはサルデーニア島の貴族の息子で、
イタリア共産党の創始者だ。文化会館の建物は池のある庭園の中の
寝殿造りだ。コンクリート製だが当時世界的にも有名だった日本の
建築家の設計だった。完成した時若いイタリア人が沢山見に来て
いるので聞いたら、文化会館と通りを隔てて向かい合っている
ローマ大學の建築科の学生達で、教授から「日本建築が殴りこみを
掛けて来たから見て来い」と言われたのだそうだ。
 ローマの日本文化会館の初代館長はギリシア・ラテン文学者の
呉 茂一(くれ もいち)先生だった。
by pincopallino2 | 2011-02-07 11:42
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