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僕とイタリア  21
外交 代表部の頃から大使館が日本人VIPの観光等の世話を頼んでいた者が
もう一人いる。正確に言えば父親が日本人でお母さんがイタリア人の男だった。
戦争末期日本の外交官が全員ローマから脱出する時イタリア女性と結婚して
いた為ローマに残ることになった同僚にスイスの銀行に入れてあった所持金を
預けた。充分皆から信用されるに足る男あったが、日本とイタリアの敗戦という
めにあって職もない。妻子を養う為致しかたなく皆から預っていたお金に手をつけ、
使い果たした時にピストル自殺をしてしまった。
 幸い彼と姉さんはある程度大きくなっており、日本語も少しは出来たので代表部の
仕事をやっていたが、父親に教わった日本語だから古い。偉いお客さんに
「お女郎さんは如何ですか?」とやってビックリ仰天させたりしていたようだ。
 やがて大使館をやめてエール フランスに移ったが、多分日本に行きたかった
からだろう。社員の優待搭乗券を使って休暇が始まる日には日本に発ち、
終わる日に帰ってきていた。日本へ行く目的はお嫁さん探しでもあったようだが、
なにしろ元重量揚げの選手で色の生白い海坊主みたいな顔だから、いつも失恋して
帰ってきていた。日本人の父親が恋しくてイタリア人の母親は大嫌い。何があったか
知らないが、それが講じてこうじてイタリアの女性全体が嫌いであったらしく、よく
悪口を言っていた。例によってイタリア人達の前でイタリア人の悪口を言っている時、
イタリア人が「そんなこと言ったってお前も半分イタリア人じゃないか」と言ったら
顔を真っ赤にして「俺は100パーセント日本人だ」と怒鳴ったのには驚いた。
自分の家の床にござを敷いて畳の感じを出し、一閑張りの机を置いて習字の
手習いをしていたが、一人住まいのせいか、盲腸炎をこじらせて死んでしまった。
 今はイタリアに眠っているが、見たことも会った事も無い彼のお墓の世話を
やらさせられた日本人がいる。
by pincopallino2 | 2011-02-09 11:41
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