人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ゴリーツィア
  ゴリーツィアは起源千年頃、当時の奴隷達が゙ゴリザ(小山)と
呼んでいたのが町の名前の語源だそうだが、近くにあるアクイレイアの
総大司教、ヴェネツィア、オーストリアのバプスブルグ家、イタリアと
統治者が転々と変わり、第二次世界大戦後はイタリア領、ユーゴスラヴィア領に
2分されてしまった運命の町。東西冷戦の頃は道路に高い鉄条網が張り巡らされて
いて東の共産圏から西側に逃げようとして鉄条網をよじ登る人達が東側の警備兵に
射殺されて可哀そうだったとその国境の前にあるレストランの親爺に聞いたことが
ある。金網のすぐ向こうに大きな駅があってウィーン行きの列車も出ていると聞いて、
その晩ウィーンに行く為にウディネに迄戻らなければならなかった僕は
世界が平和であって、自由に国境を通過できれば良いなとつくづく思ったものだ。
今はユーゴスラヴィアからスロヴェニアになっているゴリツィアの半分は
新ゴリーツィアと呼ばれている。 
見所は幾つもある町だが、歴史美術博物館は必見。郷土料理、オーストリア料理、
スロヴェニア料理が混ざっている料理も結構美味しい。
by pincopallino2 | 2013-01-26 11:39
<< パルマノーヴァ Palmanova チヴィダーレ デル フリウリ >>