銃殺後、ムッソリーニとクラーラの遺体はミラノに運ばれて
サン ロレートという広場で逆さ吊りにされた。
クラーラの遺体は足首のところで結わえられていて、スカートが
広がらないようになっていた。
この光景をたった一人の日本人が見ている。ドイツ駐在の
商社マンで、仲間を代表してドイツでは全然手に入らくなった食料品の
買い出しにミラノにやってきて偶然目にしたのだが、異様なことに周囲には
支那人が一杯居たそうだ。
ムッソリーニとクラーラ ペタッチの馴初めについては
ある会でクラーラをみそめたムッソリーニがファシスト党の幹部であった
夫をたまたま日本に派遣することになっていたイタリア使節団の一員に加え、
当時は船で片道一か月近くかかったその留守の間に口説き落としたという説や
未婚時代から大のムッソリーニ ファンだった彼女がたまたま透りかかって
彼の車の前に飛び出して知り合ったら数日後ムッソリーニの事務所に訪ねて
来るようにとの手紙を受け取ったという話などがいろいろあってどれが
本当かわからない。