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日本人逃避行  19
(4月26日 続き)
 我々を乗せたトラックは方々に立寄って、今後の処置を相談しているのか、
随分待たされることがしばしばであった。夕刻ニュールンベルグとピルセンの中間、
グラーフェナウの西北100キロ位のヴェルンベルグ(Wernberg)でおろされた。
その際手持ちの数少ない毛布や貴重な手提げ鞄等を持つことも許されず、
荒々しい言葉で怒鳴られて一部放棄を強いられた。
 収容された建物は、休止中の煉瓦工場の横の高台に仮設された粗末な
バラックで、おそらくドイツが戦線から連行してきて強制労働をさせた外国人の
収容所であったものと想像され、不潔乱雑、不衛生を極めた土間に、荒削りの
木材で組み立てられた二段棚に麦わらをのせた寝台まがいのもの(我々は
蚕棚と呼んでいた)が並んでいた。
 到着後下士官を含む兵卒数名が薄暗い蝋燭の下で、一行の所持品を検査する
必要があると称してリュックサック、手提げ鞄等は勿論厳しい身体検査を行い、
男性の持ち物では銀製ライター、シガレットケース、食器、ナイフ、懐中電灯等を
押収し、特に主な目的だったと思われる婦人のハンドバッグを開いて、指輪、
ブローチ等の貴金属品全部を掴み出して、上官の目をかすめて自分のポケットに
隠した。
(略奪は戦争につきもののようだが、アメリカ軍の軍紀もお粗末だ)。
by pincopallino2 | 2009-03-03 11:52
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