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日本人逃避行 22
 4月28日  ヴェルンベナルグから他の場所に移されることになって、
南京虫の拷問からは一晩で開放された。新たに収容された場所は
ヴェルンベルグの南南東60キロ、カーム(Cham)市の公民館らしい
建物のホールであった。建物は恐らくドイツ軍の医療品補給所として
使われていたらしいが、連合軍の急進であわてて退去したらしい。
乱雑を極めていたホールを我々の手で整理し、広いホール内に
木製の二段ベッドを並べ、使い古した軍用シーツが放置されていたので、
バート シャンダウ出発以来2週間ぶりで敷布に包まって一人づつの
寝台で寝ることが出来た。しかし毛布は一枚も支給されず、また
見つからないので、それぞれのオーバーや辛うじて持ち続けた僅かな
毛布を譲り合って寒さを凌いだ。配給の食事は前述のK rationで後に
1日2個に減ったが、生きる為の最小カロリーは足りたのかもしれない。
でも空腹に窮して裏庭に黄色い花をつけている野生のタンポポも食用に
なるだろうと一同相談して監視兵の目を盗み、鉄条網を越える危険を
冒して摘み取って、仲間の一人が大事に持ち続けた貴重な一握りの
米で雑炊を作って空腹をしのいだ。K rationばかりでは皆ひどい便秘に
悩まされたが、苦味のきついタンポポの葉はこれを若干緩和するのに
役立った。その後日が経つにつれて配給の食事も少し好転して、
ともかく小康状態がつづいた。
by pincopallino2 | 2009-03-06 11:42
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