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日本人逃避行  25
〔5月18日 続き)
 プロペラの音が低速となっていよいよ着陸に近づいたと思った頃、窓からエッフェル塔らしい
ものが見えたので、パリに護送されたことを知った。着陸して機外に出た時オルリーの文字を
建物に見つけ、一行のうちにも見覚えのあるパリの飛行場であることを互いにささやきあった。
直ちに窓に鉄格子の付いた囚人護送車で、パリ市内の兵営らしい建物に送りこまれたのは
午後6時頃。〔後にこの場所はパリ東方郊外のリユゥ モーティエ(Rue Mortier)所在の
第535大隊衛戍監獄と判明した)。門の傍らの衛兵詰所らしい事務所で、順次一人づつ
別室に連れ込まれ、パンツ一枚になるまでの脱衣をしての厳しい身体検査を受けた。
一行は度々の取調べで多くを失っており、又洗面道具だけの携帯を許されてきたので
所持品らしいものは非常に少なかったが、洋服、ズボン、オーバーのポケット、手提げの
オーバーナイト鞄等の中の品物全部を机の上に並べて、次々に屑箱に捨てる傍ら、現金は
別の袋に入れて記帳した(これは出獄の際返還された〕。時計、万年筆、シャープペンシル等
目ぼしい物は「記念品」と称してポケットに収めた。この時、手帳、ひげそりセット、爪切鋏、
小型ナイフ等一切が没収されたほか、驚いたことにズボンのバンド、ネクタイ、腹巻の晒
(これらが首吊り自殺や逃亡に使われていた為とは後で知った)、靴紐〔欧米人は素足で
歩けないので、紐のない靴では走れず、従って逃亡を防ぐ為とはあとで知ったことである)、に
至るまで取り外させて没収された。一行のある者がコップ一杯の飲料水を望んだところ、
排尿のゼスチャーをして「これを飲め」などといわれたこともあり、度々の脅迫的な言葉と
態度で荒々しく取り扱われ、一人づつ看守兵に連れられ、日本陸軍の重営倉に似た牢屋に
放り込まれた。ドアから突き飛ばされて急に暗い場所に入ったので、中の人影が誰であるか
瞬時には判明しなかったが、それが仲間であることを知って、独房ではなく雑居房で
皆と同室であったことは大きな救いであったが、投獄された11名は監獄での第一夜を
絶望に満ちた将来を語りながら過ごした。
by pincopallino2 | 2009-03-11 11:33
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