(5月20日の日記 続き)
食事時にはこの通路兼広間に簡易造りのテーブルが1脚すえられ、監房から 出て各人、アルミ皿、アルミ茶碗、スプーンそれぞれ1個づつ与えられ、一同 同時に立食した。他の監房の囚人は3回位に分けられ、我々は必ずその最後で、 2,3名の看守の米兵が相変わらず自動小銃を構え、銃口をこちらに向けて 鋭い目つきで監視を続ける中で食事をした。 食事は朝食午前7時半、昼食午後1時、夕食午後6時半。食糧はこの重営倉の 監房十数室の囚人全員宛に一括運ばれ、これを米国籍囚人、外国籍囚人に 区別して与えられている様子で、果物、生野菜は勿論、バター、ピーナッツバター、 ジャム、ケーキ類は他の囚人に支給されても、一行には全然配られず、又我々は 毎回最終組の為テーブルは汚れ、所謂残り物を与えられる感じで、しかも量は 常に不十分であった。囚人の中にはドイツ人のゲシュタボのスパイと称せられる 者も居たが、我々はなんとしても戦争が継続中の敵国人である点で、最劣悪の 差別待遇はやむをえないかと観念した。もっとも食事の配分膳立て掃除等の 使役をさせられていたドイツ人捕虜が、一行の配給分があまりにも少なくなった時には 同情して、既に食べ終った前の組の残飯を集めて我々の配給分ににひそかに 足して供与してくれる時もあることを知って、同盟国ドイツ人の好意に感謝した。 (続く:戦争も末期に近い頃東京、品川の八つ山にある軍需物資の倉庫に 勤労奉仕に行った際、隣の捕虜収容所をこっそり覗いたことがあるが、 捕虜たちはノンビリと建物の外で散歩をし、付き添いの日本兵も銃こそ持って いたが、銃口を彼らに向けるようなことはせず,肩に担いで捕虜達と談笑して いた。民間人ガ捕虜扱いになるかどうかは知らないが米軍の扱いは随分ひどいと思われる。 もっとも昨夜テレヴィでみたイラク人捕虜に対する米軍の扱いも人道なんて全く無視した ものだった)。
by pincopallino2
| 2009-03-16 11:51
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