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日本人逃避行  35
 調べが終わったら2,3日で帰れるだろうと告げて分かれた妻子達が、男性全員の
去ったあと、言葉の通じない異国内で敵軍に収容され、どんな待遇を受け、どうして
生活しているか。無事かどうか。2度と会えぬと思えばもっと妻や子供にすべきことが
あったのに等、死を前にした人達がお互いに寝床の中で語り合った。家族の消息を
教誨師や検閲の将校にたづねても最後まで何の応答も無く、夫として、また親としての
危惧、心痛を一層深めることとなった。
 以上のような悲惨且つ最悪の状態で約2週間過ぎた。この間衣類は着たままで、
シャツ、下着類も既に汚れて身体からは臭気が漂うようになり、衛生上、健康上の
問題が出てきたので、機会を捕らえて執拗に陳情したが、その都度乱暴で理解できない
米語で反論され、一切取り上げられなかった。ついに副衛生官のドニウレー少佐の
巡視の際にせめて洗濯と入浴を許してくれるよう願い出たとこ、ようやく聞き入れられて
シャツ、パンツ、靴下の着替えが給与され、週一回のシャワー浴が許された。
暫く経って、同じ監房の他の囚人は午前、午後の2回、食事場に出されて日光に当たる
機会を与えられているのに気づき、我々にも健康上認めるように申し出た。始めは
監視兵のて不足などを理由に拒否を続けていたが、やっと1ヵ月後になってはじめて
営倉の建物の外に連れ出された。鉄条網に囲われた間口7メートル、奥行き20メートル程の
郵便事務所横の庭隅であったが、毎日30分程度の日光浴や運動が許された。」
はじめのうちは、外の陽光がまぶしく、脚も弱って体力の衰えを痛切に感じたものだ。
by pincopallino2 | 2009-03-26 12:36
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