調べが終わったら2,3日で帰れるだろうと告げて分かれた妻子達が、男性全員の
去ったあと、言葉の通じない異国内で敵軍に収容され、どんな待遇を受け、どうして 生活しているか。無事かどうか。2度と会えぬと思えばもっと妻や子供にすべきことが あったのに等、死を前にした人達がお互いに寝床の中で語り合った。家族の消息を 教誨師や検閲の将校にたづねても最後まで何の応答も無く、夫として、また親としての 危惧、心痛を一層深めることとなった。 以上のような悲惨且つ最悪の状態で約2週間過ぎた。この間衣類は着たままで、 シャツ、下着類も既に汚れて身体からは臭気が漂うようになり、衛生上、健康上の 問題が出てきたので、機会を捕らえて執拗に陳情したが、その都度乱暴で理解できない 米語で反論され、一切取り上げられなかった。ついに副衛生官のドニウレー少佐の 巡視の際にせめて洗濯と入浴を許してくれるよう願い出たとこ、ようやく聞き入れられて シャツ、パンツ、靴下の着替えが給与され、週一回のシャワー浴が許された。 暫く経って、同じ監房の他の囚人は午前、午後の2回、食事場に出されて日光に当たる 機会を与えられているのに気づき、我々にも健康上認めるように申し出た。始めは 監視兵のて不足などを理由に拒否を続けていたが、やっと1ヵ月後になってはじめて 営倉の建物の外に連れ出された。鉄条網に囲われた間口7メートル、奥行き20メートル程の 郵便事務所横の庭隅であったが、毎日30分程度の日光浴や運動が許された。」 はじめのうちは、外の陽光がまぶしく、脚も弱って体力の衰えを痛切に感じたものだ。
by pincopallino2
| 2009-03-26 12:36
|
カテゴリ
以前の記事
2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 フォロー中のブログ
リンク
イタリア語ヴァージョン↓
Versione Italiana こんなの参加してます。 たまにランキングでもみていただけたら幸い。↓ 人気ブログランキング・ヨーロッパ地域情報 ローマ生活情報::::ROMEJAPAN.COM ↑ 人気投票もヨロシク。 検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||