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日本人逃避行 36
 日が経過するうちにヨーロッパの戦争終結も浸透したためか、看守兵等の態度も
少しづつ緩和していくのが感じられて、夕食後下着類の洗濯時間を与えてくれるように
なった。但し狭い洗面所で、湯も無く、洗剤も不充分な上、干し場も無いので監房内の
寝床の上で陰干しするほか無く、着替えも少なく、惨めな生活にかわりはなかった。
唯、この洗濯時間を利用して手足を洗い、外気に触れる機会を得られたのがせめてもの
待遇改善だった。
 その後更に苦情申し立ての機会を得て、「民間人に対してこんなひどい待遇は
国際法違反だ」と抗議し、折りよく紙切れと鉛筆を入手したので、これに家族の安否の件、
待遇改善の件などを簡単にしたためて、営倉の隊長と思われるギルバート中佐に
巡視の際手渡すなど陳情、抗議を繰り返した結果、入房51日目の7月7日、ついに
営倉を出て外に立ち並ぶ兵舎の2階に移された。この兵舎にはドイツ兵捕虜(下士官と
下級将校〕も収容されていた。=ちなみに51日間を過した営倉は昭和19年3月26日号の
米雑誌ライフによると、米兵で上級者、同僚を殺傷した者、敵前逃亡した者、婦女に暴行
して殺傷した者、軍需品、ベンジン等の悪質な闇取引を行なった者等で、終身刑や
死刑に処せられる重罪犯人を収容する著名な監獄であった=。
by pincopallino2 | 2009-03-27 18:35
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