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日本人逃避行 38
 7月末、宿舎の古城を出て北仏ル アーブルに行き、そこの港から米軍の
輸送船に改造された商船サンタ ローザ号に乗船した。港の内外には撃沈され、
かく座している多数の船が散在し、戦後の機雷の掃海もまだまだという状況らしく、
乗船と同時に終始救命具を装着しているよう命じられ、万一の場合の救難方法に
ついても厳重な注意事項を聞かされたが、夜半イギリス海峡から大西洋上に出て
危険は去った。日中始めて船室を出ることを許され、甲板上のロープで囲われた
一郭に我々が集まった時、船室外の甲板の至るところにひしめいて屯していた
米兵の群れが突然立ち上がって”ジャップ” ”ジャップ”と叫び、なにやら罵声を
浴びせて一同騒然となった。上官が押しとどめて怒号は収まったものの、これら
米兵はヨーロッパの終戦によって本国に凱旋しても、大部分は激戦中の対日戦場に
再び転戦することを覚悟している様子で、折角好意的に甲板に出され、日光浴を
して、洋上の新鮮な空気を吸いたくても気が進まない状態であった。船は恐らく
定員の10倍以上の超満載で、寝室は二段ベッドがやっと通れる幅につめて並べ
られ、広い船内の食堂も食卓と椅子がギリギリに置かれ、食事は1日2回だけで、
食事時間は15分を厳守させられた。料理は多分同乗の米兵と同じだと思われたが、
食糧統制下のイタリア、ドイツで長年慣れた者には驚く程の豊富なご馳走であった。
皿に盛られた肉等を子供にサービスする為細かく切ってやらねばならず、更には
口に運んでやらねばならない親達は自分の皿のものをナイフで切る暇も無く、歯で
噛む時間も少なく、丸呑みして急いでもなお食べ残して立ち退きを命ぜられたことは、
残念ながらあさましい心残りであった。
 大西洋上を航行して1週間ほど経ったある日、甲板に出たらマイクが大きく
”atomic bomb dropped at Hiroshima"(原子爆弾広島に投下〕と繰り返す
放送があって、甲板上の米兵が一斉に大歓声をあげた(8月8日)。何事が起きた
のか近くにいたドイツに駐在していた陸軍技術将校に尋ねると「とうとうやったか」と
ガッカリした表情で、原子爆弾のことを話してくれた。続いてソ連の対日宣戦の
ニュースも放送され、又日本がスイスを通じて講和条約の交渉を内密に打診している
事も数日後に放送された。これらの放送があってからは、甲板上の兵士達も太平洋
戦争の終結が近くなり、このまま故郷に凱旋できるものと考えたのか、朗らかな
気分が米兵たちに見られるようになった。
by pincopallino2 | 2009-03-30 15:36
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