人気ブログランキング | 話題のタグを見る
日本人逃避行 39    戦時下のアメリカ
 8月12日、ニューヨークに到着。エリス島に上陸して有名な移民収容所に収容される
ことになったが、その前に例によって一人づつ厳重な身体検査と所持品検査を受けた。
我々は避難旅行に出発する前から手荷物を少なくする為、衣類は出来るだけ身に
着けていたので、冬のオーヴァーや毛皮のコートを着込んで上陸して、収容所の
入り口で立ちんぼのまま検査待ちをさせられた。ニューヨークの蒸し暑い真夏の夜の
中を船旅で疲れた婦女子を含め、数時間立ったまま待たされた苦痛は脳貧血寸前の
辛さで、交戦中の敵国の捕虜であることを思い知らされた。
 翌日エリス島からニューヨーク市内に出て、鉄道でピッツバーグ西方約200キロの
ベッドフォードに移送された。一行のうちのW氏は夫人が前夜収容所の検査を受けた
際ハンドバッグに入れていたW氏の分も含めたスイスフラン全部を係官に取られ、
返してくれなかったので、ピッツバーグに向かう車中で同乗の駐独大使館の参事官に
その旨を話し、同氏から引率の米外務省役人に抗議してもらったが、なんの反応も
なく、W氏は無一文になってしまった。幸い駐イタリア陸軍武官だった人から若干の
ドル貨を融通してもらったので、ベッドフォード滞在中の日用品購入には事足りた。
 ベッドフォードに向かう列車から始めて眺める戦時下の敵国はドイツと全く異なって
ヨーロッパでは殆ど見受けなかった色とりどりの大型乗用車が高速道路を走って
おり、木炭ガスに改造された車などは1台も見受けられず、軍のトラック、軍服の
兵士の姿も無くて戦時色は皆無に近く、ヨーロッパでドイツを破り、太平洋では
日本と激戦中なのに、余裕綽々と言える状況には少なからず心憎い感であった。
(日本人逃避行は間もなく終わるが、ここでも駐在武官達は別としても、日本の
民間人に対するアメリカの取り扱いは随分ひどかったようだ。戦時下のアメリカ
市民の生活を実際に見た体験も書かれているが、孤立無援の日本、極論すれば
イタリアだけが味方のドイツに比べて、英国、カナダ、オーストリア、ソヴィエト等が
味方のアメリカの方が余裕があったのは当たり前。それにしても開戦時、日本は
勝てると思ったのだろうか。当時僕は中学2年生だったが、朝アメリカとの戦争が
始まったとのニュースを聞いて暗然たる気持ちで学校へ行ったのをよく覚えている)
by pincopallino2 | 2009-03-31 12:06
<< 日本人逃避行 40  米国で祖... 日本人逃避行 38 >>