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僕とイタリア 100   紳士服
  紳士服の仮縫いもたいへんだった。
仕事場は女性服と同じ町中の目立たない所。看板も何も出て
いなかったが、入ると仕立屋らしいたたずまい。
  まづ生地を選ぶ。最初に作ったのは夏服だったが、軽いこと
この上ない。糸の縒りがゆるいのだそうだ。その代わり弱い。
この点、縒りのつよい日本では夏服でもゴワゴワして、帰国した時
電車で隣に坐った人の服が肘に触れてすりむけたことがある。
  ところで、生地を選んだらどういう形にするか、選ばなくてはならない。
いろいろな写真を見せられてやっと決まると、採寸。女性みたいに裸には
させられないが、エラク入念だった。
 仮縫いの日に行ったら、寸法に合わせて切った生地を身体にあわせるだけ。
 結局仮縫いは都合3回だったが、その度にコーヒーガ出て、飲みながら
寸法をとってもらって優雅な仮縫いだった。
 でも僕は仮縫いの服より安い既製服の方が身体によく合った。
 かってイタリアの駐日大使で、どの服も芸者みたいに衣文の抜けた
人がいたが、姿勢が悪いのに採寸の時だけ背中を延ばしていたのだろう。

(ところで、僕とイタリアもいつの間にか100回になってしまったので、
丁度きりの良い5月31日でやめる。明日からはもっと自由に書く)
by pincopallino2 | 2011-05-31 10:54
僕とイタリア 99   服地
 イタリアの男性服は格好が良いと言われていた。
英国あたりの背広はセンターベンツだったが、
イタリアはサイドベンツで一寸くずれた感じだ。
日本人にはセンターーベンツの方があっている
みたいだった。
 洋服の生地も英国製だといいながら、実は
イタリア製のものが多かった。真偽の程は
分からないが、ことにフラノなんかは殆ど
イタリアで織っていて、そのうちの90%を
英国に戻し、残りの10%はイタリア製として
国内で売るのだそうだ。
 そういえば、カシミアのオーヴァーなんて
随分安くローマで買ったものだ。
by pincopallino2 | 2011-05-30 10:08
僕とイタリア 98  女性服
 一昔前のミラノでは方々の建物の中地下で、
お針子さん達が働いているのが見えたものだ。
 多分有名な女性服店の工場だったのだろうが、
高級な人たちは店で買った服などを着ない。
贔屓のデザイナーや腕の良い裁縫師などに頼むが、
彼ら、彼女らの多くは目立つ所に店を構えたり
していない。
 採寸の時はパンティまで脱がせてスッポンポンの
体の寸法を測るのだそうだ。
by pincopallino2 | 2011-05-29 09:59
僕とイタリア 97  上着の着方
 イタリア人に限らず欧米人の男は殆どがそうだが、
彼らは上着を着る時どちらかといえば下から肩に
かけていくのに、われわれ日本人は上から羽織るように
して着る。うまく説明が出来ないから映画の中ででも
気をつけていて見てもらいたいが、長い間の習慣
だろうか、イタリアに住んで居る時でもウッカリして
いると腕をあげて着ていた。
 同じ極東人でも大陸や半島部の人達がどう風に着る
かは知らない。 
 
by pincopallino2 | 2011-05-28 08:07
僕とイタリア 96  女性の礼服
 イタリアの女性も日本の女性と同じ様に略式礼装を持っている。
黒のワンピースみたいなので、セミフォーマルな式とかパーティの
時に着るようだ。
 そんな時日本の女性はよく着物を着るが、言葉も分からないし、
社交性もないから一隅にかたまっていることが多い。
by pincopallino2 | 2011-05-27 10:13
僕とイタリア 95   親子
 50年程前のイタリア人の親子は本当に仲がよかった。
家庭によっては悪戯をしたり、いうことをきかなかった子供を
父親が殴ったりするが、すぐそのあとで可愛がるので
子供も親を恐れない。
 日曜日など親子連れでピクニックに出かけたりするが、
そんな時子供の手を引いたり、負ぶったりしている両親は
惚れ惚れとして見とれるくらい平和で楽しそうな顔をしていた。
 でも多少猫可愛がりの点もあって、終業時間になると
学校の校門まで子供を迎えに来る親も沢山居た。
 可愛がられて育てられたので子供も大きくなっても親を
敬愛している。家族の絆が強い原因かもしれない。
 でも最近は日本と同じ様に子供の虐待を報じる新聞記事が
増えてきたようだ。
by pincopallino2 | 2011-05-26 10:44
僕とイタリア 94    マンマの味
  日本では「マンマの味」という言葉がよく使われる。
字の通りで、つまり家庭料理。イタリアのお母さんは料理が上手と
いわれているが、最近は日本とおなじように料理の嫌いな女性が
増えてきたらしく即席料理の元がよく売れている。
 でも何処の国でも主婦がお料理をつくっているし、人間の舌なんて
慣れるものだから、多少まづくても、そのうちに美味しく感じるように
なるのだろう。まして物心ついた時から食べさせられていたら
余程のまづさでない限り美味しいと思うようになる。
 一般庶民の家の味はたしかに美味しい方で、珍しい地方料理を
ご馳走になることもあるが、上流階級の家に行くと奥さんは
お料理なんて作らなくて、料理人かメイドの作ったものを食べている。
そんな奥さんに美味しいなんていうと、自分で料理したわけでもないのに
作り方とか隠し味のコツとかを得意になって教えてくれるのは
どういうわけだろう。
 共稼ぎの家などではパートタイムのメイドを雇っていて、食事は
メイドが作って、暖めるだけにしておいておくことが多いから、
そのメイドが料理上手だったら大当たりといったところだ。
 
by pincopallino2 | 2011-05-25 11:04
プーリア州   続き7
オトラントからアドリア海沿いに南下していくと15kmばかりで、
サンタ チェザーレスに出る。温泉場で、断崖の上あたりのホテルに
泊まると、日本の温泉に行ったような気分になる。
 そのサンタ チェーザレの約30km先はサレント半島の突端、
サンタ マリア レウカだ。イオニアの海が美しい。キリストの弟子
パオロが上陸して布教をレたという話しがあるが、これは嘘。
近くの海岸に洞窟がある。
 レウカ岬から半島を横切ってタラント湾の方に抜けるとガッリーポリの
町がある。ギリシア時代からの漁港で、小さな島の上にたつ旧市街
にはたまらない情緒がある。この町に伝わる古い話を新潟の
加藤さんという人が謡曲風に訳して持っていったら名誉市民に
されてしまった。
 プーリアにはこの他に美しい景色、文化や芸術に富んだ町々、
珍しいお祭りや風習、変わった宿舎、独特の美味しい料理等などに
溢れている。中部や北部イタリアでは見られないようなオリーヴの
古木には木精が宿っているようだし、海岸沿いにどこまでも続く
夾竹桃の並木には日本では見られない花も咲いている。
ギリシア神話にまつわる植物も沢山生えている。
 アドリア海を隔てたバルカン半島に動乱が起きた頃には小舟で
逃げてきて密入国した人達が人目を避けるようにして歩いているのを
見たこともある。
 旅行会社をやっているので、そんなプーリアにもよく行くが、
希望者がいたらお世話をする。
 
by pincopallino2 | 2011-05-24 10:58
プーリア州  続き6
 レッチェから車で小1時間のオトラントはアドリア海に面した漁港で、
イタリア最東端にあたる町。その昔オスマン トルコの軍隊が攻めて
来て、何百人かの人が虐殺されたという悲惨な歴史を秘めている。
 この町のドゥオーモの司祭はオックスフォード大學の卒業生。
ドゥオーモには床一面にモザイクで生き物の木が描かれていて、
ピカソもゲルニカを描く前に2回ほど訪れたそうだ。そういえば
鳩の絵なんかピカソの描いたものとそっくりだ。
前のドゥオーモといわれるビザンティン時代の小さな教会も一見に
値する。町の道路脇にローマ時代の碑文が埋まったりしている。
 因みに、イタリア語でアルファベットを一つづつ言う時にOを
OtrantoのOという。
by pincopallino2 | 2011-05-23 10:50
プーリア州  続き5
 ターラントから南は踵の部分。サレント半島と云って
独特 なお祭りの宝庫だ。
 レッチェは古い町で古代ローマの野外劇場の一部が
残ったりしているが、そこに立っている円柱はブリンディシの港、
アッピア街道の終わるところに2本立っていたうちの一本で、
あとの一本は「アッピア街道此処に終わる」といった感じでいまだに
ブリンディシに残っている。
 サンタ クローチェ寺院はまさにプーリア バロックの傑作。
この町が「バロックのフィレンツェ」と呼ばれるのも無理からぬことと
思われる。
 僕個人としては、同じくプーリア バロック様式のドゥオーモが
紫色に暮れていく空の下に浮かび上がる、たそがれ時がたまらなく好きだ。
 レッチェには紙を織って焼き、その焦げ目を模様にして作るたしか
カルタ ペスタという人形がある。人形屋は沢山あるが、本物の人形が
少なくなっていくのは残念だ。
 この町には独特のお菓子もあって、行列して買っている。
by pincopallino2 | 2011-05-22 12:22